安全保障関連法案の審議が山場を迎えている。

 憲法学者や弁護士、歴代の内閣法制局長官などの多くが、憲法9条違反を指摘し、法案に反対。国民の理解も進まず、十分な議論を尽くしたとはいいがたい。しかし、7月16日午後、自民・公明両党は強行採決によって衆院本会議を通過させ、今国会での成立を目指している。

 第二次安倍信三内閣での憲法をないがしろにした強引な法律制定は、安保法制だけではない。5月27日に成立した医療保険制度改革関連法でも、憲法25条の生存権保障を脅かす内容が盛り込まれているのだ。

貧富の差に関係ない
応能負担が社会保険の原則

 世の中には、さまざまな人がいる。健康な人ばかりではない。病気を抱えて生まれてくる人もいる。突然、原因不明の難病にかかる人もいる。

 同じ職場で、同じような生活をしているのに、ガンになる人もいれば、ならない人もいる。親から引き継いだ体質によって、高血圧症や糖尿病などの生活習慣病になりやすい人もいる。

 貧困、労働環境など社会的要因によって病気になる人もいる。だが、同じ人でも、違う生活環境で育てば、病気にならなかったかもしれない。

 病気になるか、ならないかは運しだい。決して、「自己責任」の一言で片付けられものではない。

 本人の意志ではどうすることもできない病気の経済的負担。これを当事者だけの問題とせず、社会全体でリスクを分かち合うことを目的として誕生したのが国民皆保険制度だ。

 お金のあるなし、病気のあるなしに関わらず、だれもが健康保険に加入することを義務付け、少しずつ保険料を負担することで、病気になったときには少ない自己負担で必要な医療を受けられるようにした。

 保険料は、年齢や性別、病気の有無ではなく、収入や資産などによって平等に負担する。これは、能力に応じて負担し、必要に応じて医療を利用するという社会保障における「応能負担」の考えから来るもので、健康保険は社会連帯の精神のもとに成り立っている。

 だが、利益優先の民間の保険ではこうはいかない。