世界的に権威のある団体
「神経科学会」発足の理由
1965年ごろになって、分子生物学が遺伝子のことを取り上げ、急速に発展していくのを見てきた脳関係者が、技術で分野が分かれて研究していては脳を理解することができない、いろんな分野の研究者が集まって総合的に研究したほうがよいと考え、新しい分野を「ニューロサイエンス(神経科学)」と呼んで、1979年ごろに学会ができました。
それが異常に発達した結果、大きな学会(神経科学会)になり、世界中の研究者が集まって、研究を進めるようになったのです。
この会員の倫理規定は、厳しいもので、研究発表は、新しく発見したものでなければならない、一般人に脳の話をするときには、科学的裏づけのある話をしなければならない、などがあります。
この神経科学会の会員になるには、脳の研究できる施設があって研究ができることを示し、過去に数編の脳研究論文を出して、会員による推薦をしてもらって審査を受けなければなりません。現在、世界中に会員数は約3万5000人もいます。
日本にも「日本神経科学会」がありますが、一般には「脳科学」が使われ、「神経科学」が使われていません。これは、神経科学者が、意図的にそのようにしたのです。
1986年、本田宗一郎氏が5億円を脳研究のために寄付をしてくださり、脳研究の財団をつくることになりました。
関係者が集まって、相談し、「ブレイン・サイエンス」という和製英語をカナ書きすることし、現在の「公益財団法人 ブレイン・サイエンス振興財団」をつくりました。
当時は、「脳の科学」を意味するだけで、「神経科学」が生まれたときのような意味づけはしませんでした。それが、21世紀になると、「神経科学会の会員も神経科学を意味する“Brain Science”」を使うようになりました。
現在では、多くの神経科学者が、神経科学と脳科学を同じ意味で使っています。
2009年春から、家内の久保田カヨ子がテレビ出演するようになり、独特のハスキーな声と大阪弁で脳の用語を使いながら、子育ての話をするようになりました。
一般の方にはあまり常識的でない内容なのですぐに評判になり、「脳科学おばあちゃん」のニックネームがつくようになりました。
本来なら、「神経科学おばあちゃん」と言われたほうが適切なのですが、どちらでもよく、「脳科学おばあちゃん」のほうが言いやすく親しみが持てます。
2009年秋にシカゴで開かれた「神経科学会」に出かけたとき、ちょうど人気が高かったころで、空港の売店や食堂で、飛行機内でキャビン・アテンダントやお客さんから次々声をかけられました。
また、シカゴのホテルで泊まったときにも声をかけられました。多くは女性からでした。