「経営理念の形骸化」は、会社を壊す

1967年生まれ。筑波大学卒業後、日本テレビ放送網に入社。コンピュータシステム部門に配属され、多数の新規事業立ち上げに携わる。2000年にソニー入社。ブロードバンド事業を展開するジョイントベンチャーを成功に導く。03年にハンゲーム・ジャパン(株)(現LINE(株))入社。07年に同社の代表取締役社長に就任。15年3月にLINE(株)代表取締役社長を退任し、顧問に就任。同年4月、動画メディアを運営するC Channel(株)を設立、代表取締役に就任。(写真:榊智朗)

 むしろ、経営理念を明文化することは危険ですらある。

 なぜなら、明文化したがために、理念が形骸化していく恐れがあるからです。

 たとえば、毎朝、経営理念を社員に唱和させることにしたとします。
 皆さんが社員であれば、どう思うでしょうか? 日ごろから真剣に仕事に向き合っている人ほど、そんな形式的な儀式をバカバカしく感じるようになるのではないでしょうか? なかには、「そんな儀式よりも、仕事をさせてくれ」と、唱和に加わろうとしなくなる人もいるはずです。

 すると、何が起こるか?
 それを咎める人物が現れるのです。
「なぜ、君は唱和しないのか?」
「君はこの会社の社員らしくない」
 こんなふうに責め立てられれば誰だって嫌気が差します。そして、優秀な人ほど退職していくようになるでしょう。これでは、本末転倒。経営理念が形骸化したときには、会社を壊すことすらあるのです。

 だから、結局、経営理念を明文化する作業はやめてしまいました。
 大切なのは、「形」ではなく「実質」です。経営理念を明文化することに意味があるのではなく、社員一人ひとりが理念を共有して、日々の仕事のなかでそれを実現していることにこそ意味がある。

 そのためには、そういう想いをもつ人だけを採用して、ユーザーのために努力を惜しまず働く社員を大切にする以外にないのではないでしょうか? 経営理念を毎朝唱和させたり、立派な額縁に入れて壁にかけたからといって、それを社員に浸透させることができるわけではありません。むしろ、そのために理念が形骸化することのほうが、よほど恐ろしいと思うのです。