サハリン大学側からは、会議の冒頭から、共同研究プロジェクトの「全体の構成」「スケジュール」「期待される成果」「共同研究参加者のリスト」を明快に示せと要求された。それは、ロシアの大学が外国と共同研究を始めるには、事前に詳細な「研究計画書」を州政府に提出し、許可を得る必要があるからだという。まさにソ連時代からの「計画経済」のやり方そのものだ。

 我々は、共同研究参加者、スケジュール、そして研究の成果は、最初に決められるものではないと反論した。まず、サハリン州にどのような社会問題があるかを発見し、その後何を研究するかが決められる。何を研究するかが決まれば、研究への参加者が決まる。そして、参加者が決まってから、どんな事例を方法論でいつまでに研究するか、詳細な計画を立てられるものだと説明した。

 また、共同研究のために「問題発見」のきっかけとして、日本社会の現状についてプレゼンテーションを行った。「少子高齢化と社会保障」「人口構成の変化」「家族の変化」「派遣労働者の増加と貧困」について説明し、ロシアと共通点があると思われる問題の例として、「若者が地域に定着しないこと」「自殺者の多さ」などを例示して、サハリン大側の意見を求めた。

 しかし、サハリン大側の反応は鈍かった。ロシア社会は、ソ連邦崩壊とその後の2度の経済危機を経験している。その度に「自殺者の急増」「出生率の急減」が問題になっている。また、中長期的な問題として、「地方における、若者の定着率の低さ」「女性と比べて、男性の平均年齢が約10歳低い(ウォッカの飲み過ぎ?)」などもよく知られている。しかし、それらについての言及はなく、曖昧にごまかされるばかりだった。

 サハリン大側の反応の鈍さについては、「計画経済は無謬」というソ連以来の伝統が残っているからではないかと思った。要は、「政府が見つけていない問題点を、学者が積極的に発見して、批判的に検証して解決策を探る」ということは、ソ連邦崩壊後25年経った現在のロシアの大学でも通用しないことに気づかされた。「問題発見→問題解決」という、日本では当たり前のアカデミックな文化がなかなか理解されないことに、難しさを感じながら、協議が続いた。

 ところが、サハリン大側から、翌日の経済開発省の面談で、「なぜ共同研究を行うのか、なぜ外国に情報提供しなければならないのか」明快に説明しなければならないことを繰り返し言われた。海外との共同研究を始める際、州政府はこのことを常に問題にするのだという。外国人研究者に対して閉鎖的であるということだが、日本とは違うと思った。日本の役所の場合、日本人への情報提供を躊躇する一方で、外国人には割とオープンに情報提供する時があるからだ。