あなたは1日の仕事時間のうち、どれくらいを「考える」のに使っているだろうか?
5分? 50分? 5時間?
研修の場でこの質問をすると、「5時間くらい」と答える人がけっこういる。だが、仕事中に5時間も考えている人材などというのはまず存在しない。むしろ、そういう人は、ビジネスパーソンとしてはあまり役に立たない可能性すらあるくらいだ。
マーケティング戦略を「考える」とはどういうことか?
「仕事中に5時間も考えている」などと答える人がいるのは、「考える」ということについて、多くの人がある1つの誤解をしているからである。
たとえば、あなたが自社製品のマーケティング戦略を考える立場になったとしよう。あなたはどんなアクションをとるだろうか?
マーケティングを勉強したことがある人なら、STPマーケティングの枠組みに沿って、セグメンテーション(Segmentation)、ターゲティング(Targeting)、ポジショニング(Positioning)という3つの点から、効果的な市場開拓の方策を検討してみるかもしれない。
あるいは、製品、価格、プロモーション、流通の4つの視点から施策を見ていくマーケティングの4Pもある。
そこまで本格的なツールまでいかなくても、自社の企画書テンプレートやプレゼンフォーマットを埋めながら、マーケティング戦略を「考える」という人もいるかもしれない。
しかし、こうした行為は、すべて1つ残らず、考えたとは言わない。
公式に当てはめても「考えた」とは言えない
まだ腑に落ちない人もいると思うので、もう1つ例を見てみよう。
たとえば、下のような直角三角形があるとき、直線BCの長さはいくつになるだろうか?
そう、答えは「5」だ。このとき、あなたはピタゴラスの定理のことを思い出している。
あなたは例の公式に当てはめながら「5」という答えを導き出したわけだが、果たしてこれを「考えた」と言うだろうか? 言わないはずだ。
では、あなたはさきほど、何をしていたのだろうか?
そう、ピタゴラスの定理という既知の知識に「当てはめた」のである。
この話を持ち出すと、「たしかにピタゴラスの定理に当てはめているだけなら、考えているとは言えないな」と納得してもらえることが多い。
しかしこれは実際のところ、STPや4Pを持ち出してマーケティング戦略を検討するのと何か違うだろうか?
それにもかかわらず、大半の人は既存のフレームワークに沿ってあれこれと思いをめぐらせては、「う~ん、今日はビジネスをよく考えたなあ」という気分を味わっているわけだ。
何らかの公式やフレームワークなどに当てはめることと、その公式そのものを生み出すことはまったく別物であり、前者は「考える」とは言わない。
枠組みに当てはめるために必要なのは、その枠組みを知っていることである。つまり、その知識を「学ぶ」ことが条件になっている。
・ 学ぶ = 既存のフレームワークに当てはめて答えを導く
・ 考える = 自分でつくったフレームワークから答えを導く
「それって結局は、『考える』という言葉をどう定義するか次第なのでは?」という疑問を抱いた人もまったく正しい。もちろん日常レベルで言えば、ピタゴラスの定理に当てはめてみることを「考える」と呼んだっていいのである。
それにもかかわらず、僕はなぜそれを「考える」と呼ばないのか?
競合に「勝ち続ける」には、知識では不十分
上記の問いに対する答えはきわめてシンプルだ。
「当てはめる」だけでは競合に勝てないから。
「考える」ほうが競合に勝てる可能性が高いから。
これだけである。「競合に勝つ」ということを考えた場合、「学ぶ」だけで安定した優位性を確保できる可能性というのは一般的にきわめて低い。
何より、学ぶ能力には、かなりの個人差がある。同じ教室で同じ授業を受けていたはずなのに、テストの点数に残酷なまでの差がつくのは、そもそも生徒間で学ぶ力に差があるからだ。
学ぶのが得意な生徒は、さほど苦労せずに高得点を獲得するが、そうではない生徒が競合に勝とうとすると、かなりのリソース(勉強時間、塾や教材の費用)が必要になる。
また、学ぶことによって得られる優位というのは、非常に不安定でもある。ピタゴラスの定理を知っている中学3年生は、これをまだ知らない中学1年生に対して優位にあるが、そのような差は数年後には容易に埋められる。
それと同様に、STPや4Pを学んで同僚に差をつけたつもりになっても、彼らが同じことを学んでしまえば、あなたの優位は一瞬にして崩れるのである。
「頭がいい人」の条件が変わった!!
かつては「学ぶ力」に長けた人が「頭がいい人」だとされていた。基本的に「考える」というのは、非常に効率が悪い方法だからである。
たとえば、エリート一家の鳩山家。
自民党初代総裁・鳩山一郎の長男である威一郎さんは、東京帝国大学法学部を主席で卒業。その長男が、東大工学部を卒業後、スタンフォード大学で博士号を取得した鳩山由紀夫元総理。
その弟で、複数回にわたって閣僚を経験している鳩山邦夫さんも、高校生のときに現役生として初めて駿台模試で全国1位を獲得した秀才で、東大法学部在籍時もトップクラスの成績を収めたという。
「宇宙人」と評される由紀夫さんがクローズアップされがちだが、僕は邦夫さんのほうが典型的な旧来のエリート像に近いと考えている。
鳩山邦夫さんは「勉強をするときには最大のムダを省くべきだ」と語っている。勉強ができない人というのは、何か余計なことをしているというわけだ。
では、その「最大のムダ」とは何なのかというと、じつはそれが「考えること」なのだそうだ。
彼は受験生時代に、友人が数学の参考書を見ながら、問題が解けずに唸っているのを見て、自分のやり方が特殊なのだと気づいた。というのも彼は、それまで参考書を買った経験がなく、いつも問題を立ち読みしたらすぐに「答え」も見るようにしていたからだ。
問題がわからなくて考えている時間ほど無駄なものはない。だから、とにかく解答・解法をインプットするようにしていたというのである。
もちろん、このやり方で全国1位になれる理解力・記憶力には驚くほかないが、逆に言うと、これだけで「いちばん頭がいい受験生」になれてしまうのが、従来の日本だったということだ。
しかし、言うまでもなく、そうした状況は変わりつつある。
ほとんどの人が、「勉強ができること」と「頭がいいこと」をイコールのものとしてはとらえなくなっているはずだ。
仕事や社会で必要になる「頭のよさ」とは、「考える」能力なのである。
僕が最新刊『あの人はなぜ、東大卒に勝てるのか ― 論理思考のシンプルな本質』で語ったのは、競合に勝つことを目的にした「考える」だ。
フレームワークに当てはめること、つまり、枠組みの知識を「学ぶ」こととは厳密に区別された「考える」を身につけたいという方は、ぜひ手に取っていただきたい。
(第7回に続く)