「ひと皿あたりの単価ではそうよ。でも考えてみて。売上とは、

[売上=単価×個数]

でしょ。ひと皿あたりの利益は少なくても、個数を増やせばいいの。

[売上(増)=単価(安)×個数(多)]

いわゆる「薄利多売」ね。でも普通フレンチで薄利多売なんてできるわけがない、というのがこれまでの常識だった。[売上=単価(高)×個数(少)]という考え方ね。ところが『俺のフレンチ』は、なんと、立ち食いのフランス料理店なのよ」

「立ち食い? フレンチをですか?」

「そうよ、フォアグラのステーキや、オマール海老のロースト、普通のフレンチのコースで1万円以上はしそうな料理が、ひと皿千円前後で立ち食いで食べられるの」

「へえ! それはすごいな!」

ただただ驚いている洋介の様子に気を良くしたのか、女性はさらに身を乗り出すように言った。

「もっとすごいのは『回転率』を上げるための戦略よ。ひと皿あたりの利益は少なくても回転率で利益を上げているの」
「はあ……」
どうすごいのか、まだ洋介にはピンとこない。

「私も一度行ってみたんだけどね、ものすごい行列なのよ」

「そりゃあ、そんなに安かったら、フランス料理店にめったに行けない人が押し寄せるでしょうねえ」

「それもそうだけど、実は『わざと行列ができるようにしてある』のよ」
「わざと?」

「そう。まず店が小箱……、あ、小さくて狭いお店っていう意味ね。小箱だとそもそも収容できるお客さんの人数が少ないから、すぐ行列ができるわ。でも『俺のフレンチ』はそれほど長時間並ばなくても入れるのよ。なぜなら、お客さんがすぐ出て行くから」

「すぐ出て行く?」

「まず、店に入ってから食事の時間制限は1時間50分。それを過ぎると追い出されるの。でも、そこまで長居するお客さんはほとんどいない。立ち食いだからよ。私が行ったときも、お店に入る前に40分ぐらい並んでいたから、もう足がだるくてだるくて。しかも店の中でも立ったままでしょう? だからパッと一気に注文して食べて飲んで、すぐお店を出たわ。
これの意味するところがわかる?」

「えっ……?」

「『俺のフレンチ』の回転率は、実に一晩で4回転を超えるの。つまり、開店から閉店までの間に、全部の席でお客さんが4回も入れ替わるってことよ。こんな店は他のどこにもないでしょ」

それはすごいな。4回転か。確かに、うちの店の回転率なんて考えたこともなかったけど……。考えるのが怖い。

「つまり、原価が高くて、ひと品あたりの利益は低い場合でも、回転率を上げて薄利多売できるような戦略があるならば、それで利益が上がるから問題ないの。でも、ここのお店の場合、趣味で品数増やしちゃってるようなもので、実際にはお客さんはコーヒーで長居するだけ。
お客さんのニーズに応えるのは良いけど、これじゃ方向性が間違ってるわ」

なんだって……?

「こうなっちゃうと飲食店は……もって2年てとこね。利益に対して支払いがどんどん追いつかなくなる。飲食店の廃業率って知ってる? 2年以内に50パーセントが潰れるのよ。さらに3年以内に70パーセントがなくなる。10年もってる飲食店はたった10パーセントしかないのよ、90パーセントは潰れちゃう。厳しいわよね」

2年で半分、10年で90パーセントが潰れる……。

「この店も、そろそろ本当に回らなくなってきてる頃じゃない? このままじゃ借金がふくれあがる一方よね。近々、どこかの時点であきらめて店を閉めなきゃならないって思ってない? お金もそうだけど、精神的にももう限界に近づいてるわよね……」

もう、本当になんなんだ。この人は。

なんでいきなり、そんなことがわかるんだ。っていうか、なんでいきなり、そんなこと言われてしまってるんだ、俺。
そして、女性はこう言った。

「儲けるなんて、簡単なのに」

え?
今、なんて言った?

儲けるなんて、簡単だって?

得意の営業スマイルさえ忘れてにとられたその時、店の奥に座っていた男性客が立ち上がった。
「すいません、おあいそ」

「あ、ありがとうございます!」
洋介はハッと我に返って、急いでカウンターを出て男性客のテーブルへレシートを出しに行く。

「悪かったね、コーヒー一杯で長居して」

男性客が嫌みたっぷりに苦笑いしながら、女性に聞こえるように言う。

すると女性は、カウンターからゆっくりと振り返って、男性と洋介に向かってちょこんと会釈をしながら、ニッコリ微笑んだ。

お腹が空いたからスープカレーが食べたい、と言った、さっきの表情と同じだ。
屈託のない、優しい笑顔だった。

続く