1Fは、事故後に入構ゲートが変わったのもあるのだろう。比較的スムーズに構内に入り、駐車場から免震棟へと向かった。

 人の行き来が活発だった。震災直後に水素爆発が発生し、二度と人が入ることなど不可能になった、という思い込みがあっただけに、その「活気」は、驚きだった。

 事故後の前線基地である免震棟に入る。

 白い壁には、作業を行う人たちへのエールが所狭しと張られ、千羽鶴が至る所につるされていた。

 免震棟内は日常業務を行う穏やかさがあるのだが、不思議なもので、ここであの死闘が繰り広げられたのかと想像するだけで、何とも言えない緊張感を覚えた。

 震災の被災地を取材していると、自分自身が当時にタイムスリップしているような錯覚に陥るときがある。そして、私自身は体験していないにもかかわらず、あのときの様子、声が至る所から迫ってくる──。免震棟に入ったときも同じような感覚に襲われた。

 あのとき、ここに避難しながら、事故の収束を図ろうとした人たちの思い、恐怖が脳裏を駆け巡る。

 自分は、この感覚を取り込み、かみしめるために「現場」に来るのかもしれない。防護服に着替えながら、そんな思いがよぎった。

 取材日は気温30度を超える暑さで、事前に東電の広報から「構内取材の間は、水分補給ができない。そのため、熱中症の危険もある。兆候が表れたところで見学は中止する」と言われていた。

 そんな暑さなのに、幾重にも服を重ねた上に、頭にフードとヘルメットをかぶり、さらにゴーグルと半マスクを装着すると、冷房の効いた免震棟内でも汗ばんだ。

 唯一の救いは保冷剤が前後に入ったベストを着たことだ。

「これを装着することで、熱中症はかなり防げるようになった」という言葉を信じ、とにかく目を見開き耳を澄ませて、記憶に刻もうと免震棟を出た。