それでも、「生活保護なのに!」という非難の声は止まない。非難するのは、近隣の人である場合も、旧来の友人である場合も、担当ケースワーカーである場合もある。対象はパチンコのみならず、「花を買ってきて飾った」「金魚を飼って泳ぐ姿を見て和んだ」「中卒のまま、ずっと働いてたから、失業して生活保護を受けている今のうちに勉強して以前より良い就職をしたくて、図書館から本を借りてきた」など多岐にわたる。そういう話を数多く聞いてきている私は、ときどき「生活保護なら、住まいに引きこもって“まだ死んでない”状態だけが許され、それ以外のありとあらゆる行動は非難される可能性があるということだろうか?」と考え、さらに「自分が生活保護を受けることになったら、社会的に死ななきゃいけないんだろうか?」という恐怖に苛まれてしまう。

「生きたい、自分らしく、社会の一員として」という願いが、なぜ、支持や応援の対象ではなく、非難の対象になるのだろうか?

「今、権利は『納税したら買える』ものと思われているフシがあります。納税は、権利を買うための行為。そう考えることで、納税という“苦行”を自分に納得させているのかもしれません。だから、納税していない人は『義務を果たさず、納税者である自分たちから搾取している』と映る。でも、納税に至ることができない人には、理由や事情があります。一言でいえば“ハンディキャップ”を抱えているということです」(さいき氏)

 最初に生存権がある。生きているから、教育を受ける権利を行使できる。教育を受けて、社会に接続されれば、勤労の権利を行使することができ、同時に勤労の義務を果たすことができる。そして納税の義務を果たすことができる。日本国憲法の第25条以後を順序どおりに素直に読むと、「生存権」から「納税の義務」までの長い長い道のりを自然にたどることになる。

「納税の義務に至ることのできない“ハンディキャップ”を考慮しないと、生活保護に関して、意味のある議論はできないと思います。その“ハンディキャップ”という背景を理解し、共有したいと、ずっと思っていましたし、今も思っています。私も、まだまだ背景を充分に理解できていないと思っていますから、もっと共有して、もっと納得したい。

『生活保護費をパチンコに使う』は、悲しい話なんです。一人で出来るパチンコしか選べず、さらに生活も圧迫される。『生活保護費でパチンコ、楽しい生活だね』と思うのは、背景を無視した短絡的な想像にすぎません」(さいき氏)

 別府市が提起した「パチンコと生活保護」という問題は、日本の多くの人が、私自身を含めて「生活保護をいかに理解していなかったか」を明らかにしたのかもしれない。

 次回は、「健康で文化的な最低限度の生活」と「自立の助長」の関係について、現役ケースワーカーの意見も含めて考えてみたい。自立とは、生活保護を必要としなくなることなのだろうか?