正規雇用を何とか死守するフランスに対し、日本では、国や大多数の事業主(企業、官公庁等)そして社会全体が、この正規から非正規へのシフト、両者間の待遇格差、その結果生じる日本社会の二分化と二極化を、あたかも容認してきたかのようです。

 では、なぜ日本では、わずか30年の間に、このように正規雇用が減り非正規雇用が増えたのでしょうか?その理由については、これまで様々な機関から多くの研究報告が出されています。しかし、その多くは、経済面(国内景気の長期低迷、市場のグローバル化による国際競争の激化や情報通信技術の高度化による人件費抑制圧力)、労働政策面(派遣労働法改正による労働規制緩和等)、社会面(若者を中心にした働き方に関する多様化、高齢労働者の増加、長時間労働など日本的労働慣行の弊害等)からの考察です。

 こうした経済・産業・社会の構造変化とこれに対する政策面からの分析結果はどれも理があり否定するものではありませんが、筆者は、あえて文化面から、この現象をとらえたいと思います。日本人社会には、世界から称賛される素晴らしい文化価値観が多くあります。筆者は、著書「日本人こそ見直したい、世界が恋する日本の美徳 (ディスカヴァー携書)」でも、こうした文化価値観を様々な世界の声を代弁するかたちで紹介しています。しかし、こうした美徳の中には、場面や状況に応じて、社会に対しネガティブな結果をもたらすものもあります。今回はそのうちの2つに着目します。

周りに流される日本人

 この30年間、日本社会の二分化と二極化を助長してきたものとして挙げられるのが「周りに流される」文化です。「周り」とは、世の中で広く言われていること、場の空気、社会のルール、マスコミ報道、組織の権力者、上司や同僚、競合他社の動きなど、自分の身の周りにいる人物、情報や雰囲気です。

「流される」とは、自分の信念、主義、主張や考えを持たず(または持っていても表に出さず)、周りに盲目的に(または意図的に)従うことです。この文化特性は、状況に応じ「付和雷同」「寄らば大樹の陰」「長いものには巻かれろ」「横並び発想」「同じて和ぜず」等の言葉に置き換えることもできるでしょう。

 ここで補足しておくと、こうした言葉にはネガティブな印象があるため、日本人を批判しているとお叱りを受けるかもしれませんが、筆者は決して全ての日本人がそうだと言うものではありません(現に「周りに流されない人」を筆者は多く知っています)。