社会に対する幅広い知識を子どもたちに持ってもらうためのプログラム「ジュニアアチーブメント」、「スチューデント・シティ」を支援している富士ゼロックス。同社は、「つよい(経済性)」「やさしい(社会性)」「おもしろい(人間性)」の3要素を定義し、バランスを兼ね備えた社会的存在としての「いい会社」を目指している。人事・経営企画・CSR関連の役職を歴任した日比谷武さんに、将来を担う世代への思いを語ってもらった。

地方の営業職からスタート
新製品開発からアメリカ駐在へ

教養は「生きる力」となり、<br />困難な時期の心の支えとなる日比谷 武(ひびや・たけし)
慶應義塾大学卒業後、富士ゼロックス株式会社に入社。アメリカ駐在などを経て、総合企画担当部長を歴任。2010年常務執行役員人事本部長に就任する。現在は、富士ゼロックス株式会社顧問のほか、上智大学客員教授、昭和女子大学理事、経済同友会「学校と経営者の交流活動推進委員会」委員長も兼務。

 私は、大学時代、商社を第一志望にすえ、就職活動を行っていました。当時の富士ゼロックスは、まだ小さな会社でしたが、経営理念に共鳴し最終的にこの会社で働こうと決めていたのです。

 富士ゼロックスでは、いくつかの仕事を経験しました。最初の12年間はエンジニアリングシステム事業で営業、商品企画、海外駐在を経験しました。まず、入社後すぐ営業職として広島に配属になり、その後、名古屋に転勤しました。当時は、なかなか結果を出すことができず、同期入社が昇進していく状況の中、苦しい日々を過ごしましたが、今、振り返ってみると入社直後に東京ではなく、地方で働いたことがとても良い経験となりました。営業という相手の立場に立って考える仕事をし、お客様との関係性など、学んだことは数多くあります。

 その後、東京本社事業部の計画部門に異動になり、新製品の企画・開発に携わりました。メーカーとしてのモノ作りの面白さを実感したのはこの頃です。

 30歳から2年間は、アメリカ西海岸のスタンフォード大学近くで駐在生活を送りました。赴任後しばらくは、表面的なアメリカの豊かさに驚きましたが、徐々に自分が日本をいかに知らないかを強く感じるようになりました。歴史の少ないアメリカで生活して、長い歴史をもつ日本のすごさを改めて感じましたし、異文化の人々との相互理解の難しさやおもしろさも知りました。

 この12年間で私は仕事の基本を学ぶことができました。