創業者の一人、盛田昭夫氏の肝いりで東京・銀座にソニービルが誕生してから50年。2000年以降、ソニーの業績悪化を背景に売却話が持ち上がりながら、今回建て替えという決断に至ったその舞台裏を探った。(「週刊ダイヤモンド」編集部 中村正毅)

東京・銀座のソニービル

「学生のころから、銀座で友達と遊ぶときはソニービルで会おうねと待ち合わせの場所に使っていた。新しい商品が出てきたら、いろいろ試してみるなど、自分にとっても非常に思い入れの深いビルだ」

 ソニーの平井一夫社長がそう話し、同社の「象徴」と位置付ける東京・銀座のソニービル。

 開業から50年、ソニーの創業から70年という節目に合わせたかのように、ビルの建て替えを発表したが、その舞台裏と開業までの歴史からは、経営陣をはじめ関係者たちの苦悩が鮮明に浮かび上がってくる。

 同社の公式発表では、3年前の2013年に、ソニービルの今後を検討するプロジェクトが立ち上がったとしているが、実はその本格的な議論は10年以上も前から始まっていた。

 当時社長を務めていたのは、中鉢良治氏。ソニービルを含めたブランド管理部門の責任者は、創業者の一人、盛田昭夫氏の次男の盛田昌夫氏だった。

 そもそも、ソニービルの建設を指揮したのは、盛田昭夫氏だ。東京の一等地に建てることに逡巡しながらも、1966年に竣工した当初は、ビルの寿命は40年がメドとされていたという。40年目のそのときに息子が責任者として処遇されていたのは、決して偶然ではないだろう。

 一方で、創業者に最も近い人間を“顔役”として立てたにもかかわらず、ビルの建て替えなどをめぐる調整は、思うようには進まなかった。

 地下5階、地上8階の建物に、自社のショールームだけでなく、飲食から物販までさまざまなテナントを入居させるなかで、「一部のテナントから、契約期限や建て替えなどについて、かなり反対意見が出た」(ソニーOB)という。

「ビル建設当時に、盛田さんがいろいろと契約関係で口約束していたこともあったようだ」(同)といい、本来オーナーとして権限が強いはずのソニーとしても、建て替えなどのプランを、押し切ることは難しかった。

 さらに、当時懸念されていたビルの耐震性についても、外部評価機関から築40年でも「問題なし」という、ある意味想定外のお墨付きを得たことで、建て替えの話はその後、急速にトーンダウンしていった。

 それから10年越しで、ようやく建て替えの発表に至った大きな要因の一つは、やはりテナントの変化だろう。