ミスをして落ち込んでいるときほど、
声をかける必要がある
私も「この人についていこう!」と思った経験があります。
CA(客室乗務員)時代のことです。
機内サービスの最中にオレンジジュースをこぼし、お客様の衣服を汚してしまったことがありました。
幸い、お客様は怒ることなく、「大丈夫ですよ」と許してくださいましたが、フライトを終えても、私の心はザワついたままで、小さな心の痛みが残っていました。
デ・ブリーフィング(到着後のミーティング)がはじまると、チーフパーサーの田中さんは、フライトメンバーの後輩に、こんな質問をしたんです。
「今日は松澤さんがオレンジジュースをこぼしてしまいました。けれどお客様はまったく怒りませんでした。なぜだと思いますか?」
後輩が、「松澤さんがミスをしても、お客様に誠意を持って対応したからだと思います」と答えると、田中さんは私を見てから、
「そのとおりですね」
とやさしく頷いてくれたのです。
私は、あきらかにミスをしました。私は、落ち込み、反省していました。
田中さんはそんな私を見て、「この子はすごく反省しているな。原因を追究するよりも、折れた心を立て直してあげるほうが成長するはず」と察してくれたのだと思います。
だから、私のミスを咎めるどころか、その後の私の姿勢をほめてくださったのです。
私は、田中さんの言葉に救われ、「この人についていこう!」と思いました。田中さんの「救いの言葉」を思い出すたび、今でも感謝の気持ちがあふれてきて、田中さんのような女性になりたいと思います。
あるプロ野球のコーチをされている方の講演会に、数年前に、参加したときのことです。
そのコーチの方は、講演会の中で、
「ミスをして落ち込んでいる選手ほど、声をかけて励まさないといけないのに、ほとんどの人が逆をやり、調子のいい選手に声をかけようとする」
とおっしゃっていました。私も同感です。
相手が何らかのミスをして、落ち込んでいたり、反省しているときに、説教や叱責によってその非を正そうとすると、相手を追いつめてしまうことがあります。
説教や叱責がたとえ正論であっても、いえ、正論だからこそ、一方的に責めたりしない。
相手にとって必要なのは、正論ではなく、「心の支え」であり、次につながる「救いの言葉」なのですね。