Photo by Kazutoshi Sumitomo
日本一の歓楽街、東京・歌舞伎町と大久保のあいだを走る「職安通り」。その歌舞伎町側に平日の昼間でも買い物客でごった返す食品スーパーがある。
一歩足を踏み入れると、お世辞にもおしゃれとはいえないが、どこか「昭和」のにおいのする風景が広がっている。だが収益力は立派なもの。150坪の面積ながら年間売り上げ25億円と、好立地のスーパーに匹敵する。
通りを挟んで大久保側には、若者から高齢者まで買い物客がひっきりなしに吸い込まれるビルがある。1階にはCDやDVDが、2階には本や雑誌がびっしりと並ぶ。近くにはレストランや民芸品、たんすなどを取り扱う店舗もある。
これらを経営しているのが「韓国広場グループ」だ。文字どおり取り扱っている商品に共通するのは韓国というキーワード。コリアタウンとして知られる周辺一帯は、韓国関連のグッズを扱う店や飲食店が軒を連ね、韓流文化の発信地として、大勢の観光客が詰めかける。同グループはその顔といってもいい。
束ねるのが社長の金根熙(キムクンヒ)。中核企業の韓国広場は年商34億円を誇る。
わが子のひと言が
学者の道から起業へ導くきっかけに
金は異色の経営者だ。生まれも育ちも韓国。学者の道を歩んでいた1985年、研究のため来日した。
いったん韓国に帰国したが、再び来日の機会を得る。財団法人流通システム開発センターの客員研究員として商用バーコード研究に参加、その後、社会学の研究で一橋大学大学院に移った。「奨学金もたっぷりもらって夢のような生活を送っていた」という金に大きな転機が訪れる。
ある日、幼稚園に通う子どもと一緒に日本と米国のバレーボールの試合を見ていた。すると子どもが画面を見ながら「ニッポンチャチャチャ」と声援を送ったのだ。
びっくりして金は聞いた。「日本を応援しているのか」。
「お父さんは違うの」。不思議そうな表情を浮かべるわが子。
「内心は日本が負ければいいと思っていた」という金。
多くの韓国人と同様、日本に対して複雑な思いがあった。父母の植民地時代の体験談、近所の男性の背中の傷……。留学はしていても日本を好きになれない理由はいくらでもあった。
「そんなに嫌いな国なのにどうして住んでるの。自分の国に帰ればいいのに」
無邪気な幼子の指摘は、心の底にあった複雑な思いを遠慮会釈なくまっすぐに貫いた。