2015年10月に子会社で杭工事の施工データ改ざん問題が発覚した旭化成。同社は約30年続く“院政経営”から卒業し、社長に権限を集中させようという経営改革のただ中にあったが、改革の象徴だった浅野敏雄前社長は騒動に区切りを付けるべく辞任した。院政脱却は成功するのか。4月に社長に就任した小堀秀毅氏に聞いた。(「週刊ダイヤモンド」編集部 新井美江子) 

こぼり・ひでき/1955年石川県生まれ、61歳。78年神戸大学経営学部卒業後、旭化成工業(現旭化成)入社。2008年旭化成エレクトロニクス取締役、10年同社代表取締役社長、12年旭化成常務執行役員(経営戦略・経理財務担当)、14年同社代表取締役、16年より現職。Photo by Kazutoshi Sumitomo

──子会社である旭化成建材の杭工事施工データ改ざん問題で社外対応に追われ、社内が揺れました。この10カ月で立て直せましたか。

 浅野(敏雄前社長)の英断で4月に社長が代わりました。これは、トップ交代を一つの区切りにしようという社員に対するメッセージでした。(杭問題に直接関与していなかった)浅野が退任する必要があるのかという意見も当然あったと思います。次を受け継いだ者たちは、この決断を生かさなきゃいけないということですよね。

 私は、今回の問題が起きたのは現場に対する関心が少し薄れていたからじゃないかとさかんに言っている。だからもっと現場を重視して足元をしっかり固めようと。現場回帰です。各地区の工場も回り、これをうたっています。

 企業の存続のベースはコンプライアンス、安全、環境保全。その上に事業の成長がある。4月に発表した新中期経営計画もそういうことを訴えるものにしています。

──杭問題が起きる前、伊藤一郎会長は約30年続く会長主導の経営から脱却し、社長に権限を委譲させようとしていました。“院政経営”という特異なスタイルから、カリスマに頼らない「普通の会社」への転換です。その象徴が2014年に就任した浅野社長で、同年に浅野社長を含む4人の代表取締役による集団経営体制が敷かれた。社長交代で、改革の流れは止まってしまったのでは?

 (4人で推進した)事業を4領域から3領域にする組織改正は頓挫せず、4月に実行しましたよ。

 旭化成は今まで各事業会社による自主自立経営を徹底した純粋持ち株会社制を取ってきました。でも10年先を見ると産業の垣根もなくなってくるし、個別事業の伸び代もかなり少なくなっていく。だから求心力を高め、総合力により自動車分野などの成長産業をしっかり取り込む体制が必要でした。

──小堀社長は会社全体の経営戦略の担当役員に就いていました。今回の組織改正をめぐっても、前々から会社の総合力を生かそうという機運づくりに動いていた。

 自動車関連製品に携わる人たちを、2年くらい前から時々集めて情報交換会を開いたりね。