日本と日本の社会保障の未来
今こそ国民的論議を

 先ほどの安形氏は、この動きが他の制度に波及することを懸念している。

「今のところは、ひとり親世帯のための児童扶養手当と生活保護だけですが、同じ論理で、公的資金が入っている制度、財源の一部または全部が税金の制度はすべて、『適正化されるべき』と言えるわけです。すると、暮らしに役立つ制度全体が、医療も教育も年金も、利用している人々が同じように監視の対象になりかねません。公務員も、家計簿の公開を求められるかもしれませんね」(安形氏)

 元ケースワーカー、現在は研究者である長友祐三氏は、さらに根本的な点を指摘する。

「『健康的・文化的な最低生活とはどういうものか』を、社会の中で、誰もが共有できるようにする必要があると思いますし、そういう生活を構想する必要もあると思います。今のように格差が拡大している時期に、貧困層・低所得層の人々の現実の生活に合わせて『健康で文化的な最低限度』を考えると、その『最低限度』である生活保護のレベルを下げなくてはならなくなりますけれど、人が生活するにあたって必要な最低限度は、その時その時の経済の仕組みや所得で変わるものではありません。それを後退させるのは、おかしいです」(長友氏)

「最低限度」の生活とは、どのようなものであるべきなのだろうか?

「普通の生活、です。『普通の生活を、生活保護でも認める』という考え方のベースが必要なんだと思います」(長友氏)

 もちろん、十分な生計の手段を持たない人々に対する給付である以上、「年収1000万円の人と同じ生活」というわけにはいかないだろう。

「でも、『これは認めてよい最低部分か、そうではなく認められないゼイタクなのか』に、多くの方々が着目すること自体、不自然なんです。普通の生活に含まれる可能性があるものは、生活保護でも、すべて認められるべきです。今、必要なのは、『健康で文化的な生活』の最低限度に関する議論です」(長友氏)

「健康で文化的な生活」の内容と、「最低限度だけど、健康で文化的」の最低ラインには、ここ数年、日本の社会保障・社会福祉に真剣な関心を向けている人々の多くが、引き上げ派・引き下げ派ともども注目している。ぜひ、国民的大論議を巻き起こしたいものだ。

 次回は、夏休みの子どもたちの生活と生活保護の現在を紹介する予定だ。