世界経済フォーラムが「ジェンダーギャップ指数2021」を発表した。日本は世界156ヵ国中120位と、主要7ヵ国(G7)で最低、これまでの日本の順位としても、過去最低だった昨年度121位に次ぐワースト2位となった。日本は世界的に見て男女平等が圧倒的に遅れており、距離を詰めることすらできていない現実が浮き彫りになったかたちだ。相変わらずの世の中において、日常でも「これってやっぱりおかしいのでは……」と気になる人が増えているのではないだろうか。
そんないま、ぜひ一読をお勧めしたいのが、このたび待望の日本上陸を果たした『フェミニストってわけじゃないけど、どこ感じる違和感について──言葉にならないモヤモヤを1つ1つ「全部」整理してみた』(パク・ウンジ著、吉原育子訳)だ。作家の西加奈子氏が「違和感を大切にすることは、自分を大切にすることだ」と推薦文を寄せている話題の書だ。
韓国からの翻訳書だが、父権社会の伝統の根強い社会で「これっていったい……」と著者が見つけていく違和感は、どれもが日本で思い当たるものと瓜二つだ。仕事、家事、結婚、社会……違和感の正体はどこにあり、どう向き合っていけばいいのか? 同書より一部を抜粋して、特別掲載する。

これだけは「男性の全員」に知ってほしい1つのことPhoto: Adobe Stock

「日常的な恐怖」の存在を知ってほしい

 自分が生きている世界が文明社会だというのが信じられないくらい、力の論理は強く、独身の女はそのなかでも最弱だ。

 独り暮らしの部屋にデリバリーしてもらうとき、うとうとしていてドアがガタンと鳴るとき、夜中にタクシーに乗ったり、閉ざされた空間でたまたま男性と二人きりになったりしたとき、私の意志は力を失う。

 日常でいくらでも遭遇しうる数多くの危うい状況のなかで、怖い思いをしたときは、被害者になってから「笑ってくれたから」「言うことを聞いてくれそうだったから」「好意を拒まなかったから」といった矢を突きつけられないように警戒しなければならない。

 女性の5人に1人が、公共交通機関で痴漢に遭った経験があるという。市内バスで眠っていたら太ももをなでられたとか、地下鉄でお尻を触られている気がしたというのは、女性のあいだではもはや話題にもならない。

 痴漢から女性を守るために、女性専用車両や女性専用の駐車場が登場したが、男性は自分たちも勘違いされたくないから男性専用バスや車両もつくれと主張し、大統領府宛てに請願まで出された。たんに男女の空間を分けても根本的な解決にはならないのに、ただ男女を逆にして当てはめただけという驚くほど単純な主張だ。

 もちろん、男性のほうが犯罪を行う可能性が高く、女性は潜在的な被害者だと考えるのであれば、男性専用車両をつくって潜在的な加害者を隔離してもらったほうがいい。なぜ被害者のほうが逃げまわらないといけないのか?

 逆に見れば、女性専用の空間というのは、男性の日常はそのままで小さな禁止エリアが一つできただけだ。女性にとっては、自分の身に降りかかるかもしれないことを前もって避ける、小さな可能性が一つ開けたにすぎない。

 フェミニズムがしばしば生存権について語る理由は、それが権威の側に偏っているからだけでなく、物理的に不利があるからだ。

 男同士でもそうだが、体が小さくて力が弱い者は暴力の対象になりやすい。そのため、女性はデートDVや夫婦間でのDVの被害者になることがたびたびある。

 これは子どもにも同様のことが言える。子どもたちがなぜ虐待されるのか。小さくて力が弱いから、子どもを虐待する大人のほうが力が強くて卑怯だからだ。

 もし幼いほど体が大きくて力が強かったら?

 女性が男性より背が高くて筋肉質だったら?

 それでも子どもを殴ってしつけ、女性を簡単に犯罪の対象として見るだろうか。

 女性だからではなく、弱者だから、動物の世界のように、ジャングルに生きるかのように、周囲をうかがって上手に隠れないといけないのだ。

 物理的な弱者として生きることも怖いけど、「社会やまわりの男性たちは、女性のこうした日常的な恐怖をわかっていない」とふと気づくとき、より大きな恐怖を感じる。(中略)

男女の「あたりまえの世界」の違い

 最近、性犯罪やミートゥーについて話すと、夫との会話が妙にぎこちなくなることに気づいた。私は一緒に怒ってほしいのだが、夫は他人事のように距離を置いている。

 確かに他人のことではあるけれど、私にとっては、それはいつ自分に降りかかってきてもおかしくないことだ。

 でも、夫はとりあえず自分の妻とは無関係の話だと思っているようで、間違って自分に矛先が向かないよう、防御しているようだ。まるで自分がやったとか、やる可能性があると批判されているかのように。

 何もしていない男たちまでが非難されているように感じて、ただ悔しいということなのだろうか。

 夫がそれとなく女性側に原因を探ろうとしたり、「なんでそんなこと、僕に話すの」と一歩引いたりすると、毎回複雑な気持ちになる。夫と同じように平凡に生きている一般男性が、この問題をどう感じているのかわかる気がするからだ。(中略)

 人は自分の経験をもとに世の中を見る。

 男は酒を飲んだあとよくタクシーで寝るとか、タクシー代を現金で払わなくても文句を言われないという話を聞くと、女は驚く。女性側の話をすると、そういう世界を知らない男たちも驚く。これはニュースに出てくる話じゃない。こうした日常での不快な経験の差が、自分にとっての「あたりまえの世界」をつくっていく。

 もちろん、男たちが悔しがるのもわかる。自分はそんなことはしないし、悪い人間じゃない。イヤな思いをさせるつもりもないのに、なんで加害者予備軍みたいな扱いをするんだ?

 でも、そう訊く前に、女性がどんな世界に生きているのか、一度考えてみてはどうだろう。女性が安全に過ごせる世界を一緒につくっていってもらうことはできないだろうか。

 人は自分の身近なことに関心を寄せる。ペットをかわいがる人たちは捨てられた動物の保護施設を支援し、病気で家族を失った経験があればその病気の治療薬の開発に協力しようとする。幼いときに虐待された人は子どもの人権擁護のために努力しようと思うのが人の心だ。

 私は動物ではないから動物虐待を受けた経験はないし、子どもではないから児童虐待の被害にも遭わないが、私もまた弱者になりうるという事実を知っているからこそ、彼らの味方になりたいと思う。

 性犯罪も、男性にとっても自分の家族には起こりうることだ。自分がそんな目に遭っていないから別世界の話だと決めつけることはできないのだ。

 だから、性別が違うという理由で誰かが危害を加えられたら、一緒に怒ってほしい。

 弱者への理解、共感を少しだけ広げて、犯罪の原因が被害者にあるなどと思わないでほしい。

 そのことについて話すとき、私は夫を非難しているわけじゃない。私はただ、一緒に、悪いことをした人を悪いと思いたいのだ。

(本原稿は『フェミニストってわけじゃないけど、どこか感じる違和感について──言葉にならないモヤモヤを1つ1つ「全部」整理してみた』からの抜粋です)