8月26日、民主党の小沢一郎前幹事長が、ついに代表選への出馬を表明した。

 ここに至るまでの民主党内のごたごたを見ていると、結局、この党も、国民がどういう目で自分たちを見ているかがまったく分かっていない、永田町の政治屋集団といわざるを得ない。国民は、はっきり言って、あきれている。

 何しろ、「脱小沢」だの、「反菅」だの、いずれにしても小沢一郎氏が対立軸。「お山の大将だれが好き」「どっちが選挙に勝てる顔か」といったレベルで、まるで子供のケンカだ。しかも、議論が内向きで、まったく外にエネルギーが発散されてこない。要は、何のために権力闘争をやっているのやら、外からはまったくわからない。「そんなに仲が悪いなら、どうして同じ党にいるの」というのが、国民の素朴だが本質を突いた疑問なのだ。

 唯一、この低次元の争いから抜け出る道があるとすれば、菅、小沢両氏が口にしているように、堂々とかつ政治生命を賭けて、自らの理念と政策論を戦わせることしかあるまい。

菅首相、小沢氏が考える
「この国のかたち」とは何か

 一つには、それが政治家の責務であるからだ。政治家であるならば、自らが掲げる政策があり、それを支える理念があり、それを実現するための権力闘争であるはずである。もちろん、民主党の代表選挙は、国政選挙ではないから、国民すべてに選挙権があるわけではない。が、政権党である以上、代表選びはこの国の首相を選ぶことになる。だからこそ、この国のリーダーとなる人が、どのような理念と政策論を持っているのか、国民は知る権利がある。