開智日本橋学園 建物
法人合併で、開智日本橋学園もグループ入りした

東京に進出して分かったこと

――日本橋の商家のお嬢さんの進学先として設立された日本橋女学館(東京・中央区)を引き継ぐことになった経緯というのは、どのようなものだったのでしょう。

青木 最初に東京に学校をつくりたかったこともあり、何かきっかけがあればと思っていました。もう一つ、埼玉で学校を経営している中で、教員を集めるには東京に本部がないと出遅れてしまうということもありました。

 でも、最初にこちらからお話をいただいたときには、一度断っています。

――それは労働組合の問題とかでしたか。

青木 僕は組合との交渉とかは全然嫌いではないので、そういうことではありません。系列に大学(日本橋女学館大学/千葉・柏市)がありましたが、開智学園として大学をやる気がなかったからです。

 こちらの理事会には企業経営者が入っていたので進め方もしっかりしていて、3つの候補から選ぼうと。それで見に来られたのですが、うちが圧倒的にいい、ということになって熱心に誘われました。でも、僕は「うん」とも言っていない(笑)。

――自分から手を挙げたわけではなかった。

青木 そのときに思ったのが、いい教師を育てないとダメだということでした。この大学になかった教育学部をつくってもいいなら、ということで引き受けることにしました。

――当時の大学(2000年に短大から改組)は定員割れでしたか。

青木 定員の半分も学生がいませんでした。

森上展安 森上教育研究所代表
[聞き手] 森上展安(もりがみ・のぶやす) 森上教育研究所代表。1953年岡山生まれ。早稲田大学法学部卒。学習塾「ぶQ」の塾長を経て、88年森上教育研究所を設立。40年にわたり中学受験を見つめてきた第一人者。父母向けセミナー「わが子が伸びる親の『技』研究会」を主宰している。

――私立大学の助成金もカットでしょうから、大学は切り離して中高だけ、という形にはならなかったのですか。

青木 先方も大学と合わせて引き受けて欲しいということでしたので、一緒に引き受けることになりました。15年に開智国際大学(教育学部、国際教養学部)として開学しました。

 先述したように、「探究」を教えられるような教員養成にカリキュラムを変えていますが、卒業生が皆教員になるわけではありません。塾も含め教育産業もそうですが、教育学部はいろいろな科目を、特に小学校の教員養成課程では学びます。そうすると、一般の会社や特に公務員試験にも合っている。

――開智日本橋学園中学・高等学校は東京のど真ん中の中央区にあります。埼玉と比べて、東京は何が異なりますか。

青木 全部違います。学校が劇的に変わるのが東京です。埼玉では4~5年かかることが、東京では1年でできてしまいます。埼玉時間ではなく、東京時間で変えていかなければならないことが分かります。

――経営にいい影響が出ますね。それは大発見です。

青木 東京では教員も集めやすいですが、その代わりに流動性が高いことも分かりました。いい教員とは何かを考えたとき、その先生にどれだけの力があるかよりも、その学校に合っているかどうかが大きいと思います。

 日本の雇用制度は保守的ですが、この先生は他の学校にいた方がいいのにと思うことが埼玉では特に多かった。その先生が一番力を発揮できる学校に行く方がいいと思います。