今月の主筆(2) サブカテゴリ
第2回
資源ビジネスに沸く同業他社を尻目に、岡藤社長が就任以来進めてきたのは、非資源ビジネスの強化。中でもCITICへの6000億円の出資は業界内外を大きく驚かせた。岡藤社長は、巨額投資の勝算をどこに見たのか。そして、伊藤忠が重視する商社の「商売」の原点とは?
第1回
総合商社の新たな戦いが始まった。2016年3月期決算で純利益トップに躍り出た伊藤忠商事。その躍進のキーワードは「非資源ビジネス」だ。岡藤正広社長に、伊藤忠躍進の秘密や、今後の商社の戦いの舞台について語ってもらう。
第4回
変化に対する仮説と検証の重要性をさまざまな角度で見せてくれた鈴木敏文・セブン&アイホールディングス名誉顧問の連載。その根底にはなにがあるのか。異能の経営者の「ものの考え方」に迫った。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン編集長 深澤献)
第3回
セブン-イレブンがここまで成長できたのは、常に変化に対応してきたからだ。そのために、仮説を立てて実践し、結果を検証するということを徹底的に行ってきた。その根底にあるのは、「これがあれば、お客さんは便利だろうな」という、ごくシンプルな発想である。
第2回
セブン-イレブンが小売り不況の中で独走を続けてきた理由は、徹底した「自主マーチャンダイジング」にある。なぜ自主マーチャンダイジングが必要なのか。そしてセブン&アイグループが進めるオムニチャネルは、小売業にどんな未来展望をもたらすのだろうか。
第1回
イトーヨーカ堂に入社後、セブン-イレブンを立ち上げ、日本一の流通グループを育て上げた「流通最後のカリスマ」が経営の一線を退いて4カ月。データを細かく分析し、仮説を立てて検証していくことで、変化著しい日本人の購買動向に対応し続け、常に抜きん出た結果を出してきた鈴木敏文氏に、自身の経営論を語ってもらった。
最終回
リクルートの人事担当役員、リクルートエージェント(現リクルートキャリア)の社長などを経てJリーグのチェアマンに就任という異色の経歴を持つ村井氏。企業経営で培った手腕でJリーグという組織の立て直しをはかる村井氏は、どのような思いで改革を進めていくのか。
第3回
私は新卒でリクルートに就職して以来、かれこれ30年、人と組織の関係に携わってきた。1983年、最初に配属されたのは求人広告の営業で、企業の人事部を訪ねて新卒採用や中途採用の広告をいただく仕事だった。その後、1988年のリクルート事件を挟んで人事部に異動。2000年から人事担当の執行役員として人事制度の設計や自社の採用などに携わるようになった。
第2回
前回は、サッカーのプロ選手の経験もなければ、クラブチームの経営もしたことのない私がいきなりJリーグのチェアマンに就任した経緯と状況、そして当時の心境を述べた。Jリーグには現在全国38都道府県に53クラブが所属している。チェアマンとなった私は、各クラブの代表を集めた実行委員会の議長をしなければならない。右も左も全くわからない状況で月に一度、当時51人の社長を集めて会議を取り仕切ることになったのである。
第1回
リクルートエージェント(現・リクルートキャリア)の社長を務めるなどしていた私が、ある日Jリーグのチェアマンを打診された。歴代のチェアマンと比べると明らかに異例の経歴である。Jリーグの「経営者」としてまず着手しなければならなかったのは財政問題だった。
最終回
「辺境の人」「保守本流は好きではない」と言いながらも、ボストンコンサルティンググループを確固たる企業のパートナー役に育て上げた御立尚資氏。今、その視点はどこに向かっているのか。「1000年単位の歴史観を持って事業を行う時代」と語る真意などを聞いた。
第3回
1986年からBCG日本法人の経営を担うだけでなく、大前研一さんと並んで日本のコンサルティング業界の看板役者であった堀さんが、あろうことか何人も連れて辞めてしまった。この事件で、BCGは“存亡の危機”に直面したと言ってもいい。そして、パートナーに昇格して2年目の私がここから「職人」としての仕事と「経営」の仕事の二足のわらじをはくことになったのだ。
第2回
36歳の時、私は14年半勤めたJALを辞めて、ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)に入社した。その後の23年間はBCG1社だけで仕事をすることになったのだが、約7割の期間は3つの帽子をかぶってきた。3種類の仕事を兼ねてきたということだ。コンサルタントという「職人の仕事」。コンサルティングファームの「経営の仕事」。そして、そのどちらでもないが、両方と密接に関係する「課外活動」だ。
第1回
2016年1月1日付けでボストンコンサルティンググループ(BCG)日本代表を退任した。恥ずかしながら、私の人生はいつも「普通の道」からちょっと外れることの繰り返しだった。普通ならこうするのが望ましい、という道を希望したら、必ずといっていいほど、そうならない。そのうち、保守本流的なものが苦手でどちらかと言えばアウトサイダー側を好むようになった。
最終回
「無印良品」ブランドを再生し、良品計画を屈指の成長企業へと転換させた松井忠三・名誉顧問。再生の苦労や日本の小売業の将来、「西友の再建を託されたら?」などについて考えを聞いた。
第3回
1980年代当初のGMS各社のPB戦略は大手メーカーの協力も得られず、結果的に「安かろう悪かろう」と消費者の支持を得られなかった。そのなかで唯一、「無印良品」だけが支持を広げ急成長を遂げたが、大企業病の病勢が強まるなかで「無印」ブランドの信頼も急速に失われていく。そこで必要だったのは「立て直すための仕組み」だった。
第2回
私は良品計画の既存店売上高伸び率が急降下を始めた2001年に社長に就任し、まずは「6つの原因」を特定して止血作業を始めた。しかし原因の背景には、もう一つ深い層から原因を生み出す「真因」があることに気がついてきた。そこに手を打たなければ勝ち残れる企業へと生まれ変われない。それは、「改革への取り組みそのものを社風とする」新たな社風づくりだった。
第1回
今月は、私が良品計画の事業再生にいかに取り組んできたかと、そのなかで学んだ"事業再生の肝"を記しておきたい。多くの企業が激変する環境に対応できず、持続的な成長の芽をつかめぬままでいる。私の経験がお役に立てれば幸甚だ。
最終回
「変化力」をキーワードに、原理原則を徹底することで公正で公平な経営や人づくりを志向する安渕氏の経営。その背景にあるものを『週刊ダイヤモンド』論説委員の原英次郎が聞いた。
第3回
変化し続ける「変化力」の経営は、非常に不確実な世界で必ず結果を生み出すための取り組みだ。目標や命題としては極めてシンプルなものである。重要なのは、シンプルな命題を実現するためにどのような仕組みを用意できるかだ。今回は、人材育成・評価、リーダーの資質などの側面からGE流の実践を紹介したい。