和泉虎太郎
バブル崩壊まで、日本は真の国際化が進まないままだった。経済力の大きさで国際社会での存在感を増してなお、日本でしか通用しないおバカなローカルルールで運営されていた。しかしバブル期を境に、こうした閉鎖性が崩壊せざるを得ないような出来事が次々と起きていく。

第7回
バブル真っ只中の1989年から四半世紀が経ち、変わったのは政治や経済だけではない。日本人の多くが「いつの間に!?」といぶかるような世相の変化を見てみよう。

第6回
あの1989年(平成元年)から四半世紀。多くの政党が名称を変え、合流離脱を繰り返してきた。肝心の政策はどうだろうか?この25年間あまり、政治はどれほど変わったのか、または変わっていないのか、いくつかの事例を挙げて振り返ってみよう。

第5回
歳月人を待たず、有為転変は世の習いである。あの1989年(平成元年)、バブルのピークという熱狂から四半世紀とちょっと、日本もいろいろな物が時間をかけて変わってきた。当時の「常識」は、今となっては「非常識」。そんな実例をいくつかご紹介しよう。

第4回
バブル退治のために平成元年(1989年)末、矢継ぎ早に打たれたさまざまな施策は、いずれも効果は大きかったものの、“やり過ぎた”側面も大きかった。後に「失われた10年(20年)」と呼ばれる大不況につながっていった、平成元年末の国の方針転換を改めて振り返ってみよう。

第3回
空前の土地・株の暴騰によって、全国に金満施設が創られた平成元年(1989年)。今の時代から振り返れば、「あり得ない」と言いたくなるような金満施設、カネがらみの事件が頻発した年でもあった。

第2回
昭和天皇の崩御で粛々と幕が開き、バブルが弾けて終わった1989年。土地価格は狂乱し、バブル紳士がカネにものを言わせてやりたい放題したものの、わずか数年でほとんどが崩壊、表舞台から姿を消した。その後の長い長いトンネルに入ったことを考えると、バブルの頂点となったこの年は黒歴史の入口であることは間違いないのだが、数少ないが成功事例もある。

第1回
天皇の生前退位の検討開始を受けて、「平成」の終わりについて、静かに議論が始まりつつある。昭和天皇崩御後の自粛ムードから始まった「平成」元年はどんな年だったのか?バブル期を知る年代にとっては懐かしい、知らない年代にとっては驚きの平成元年回顧録をお届けする。

いまだ地震活動が収まらない熊本地震。被災地への救援物資や募金など、「自分ができること」を探している人は多いだろう。熊本の名産品を買うことも、大きな支援につながるはず。どんな銘品があるのか、熊本県出身ライターが解説する。

水戸市と同規模の人口が消える一方、50歳以上の初産が41人いた2014年の日本。溺死はなぜ冬に集中発生し、首都圏では病院で死ぬ人の割合がなぜ少ないのか。2014年の人口動態統計から、驚きの「日本人の死に方」を考察してみよう。

夏休みこそ教養を深めたい。そんな人にオススメなのは、難解な入門書ではなく、子ども向け学習マンガ。学習マンガがなぜすごいのか、オススメ本の紹介も交えて解説する。

1300億円から、いつの間にか2520億円に膨れ上がった国立競技場の建設費。国民の怒りの声を受けてようやく安倍総理は白紙撤回を表明したが、そもそも国の金銭感覚はどうなっているのだろうか?
