大正時代から現代まで、その時代の経済事象をつぶさに追ってきた『週刊ダイヤモンド』。創刊約100年となるバックナンバーでは、日本経済の現代史が語られているといってもいい。本コラムでは、約100年間の『週刊ダイヤモンド』を紐解きながら歴史を逆引きしていく。今回は、1970年代前半の第一次石油危機とその日本への影響を逆引きする。(坪井賢一)

日本は原油輸出削減されなかったが、
あっという間にインフレが進行

 1973年10月6日、エジプト・シリア連合軍がイスラエルに先制攻撃し、第4次中東戦争が始まった。緒戦はアラブ側が優勢で、その後イスラエルが反撃した。イスラエルを支援する米国、エジプトとシリアを支援するソ連が戦争の拡大を牽制し、10月22日に停戦した。これを第4次中東戦争という。

 激しい戦闘のさなか、10月16日にアラブ石油輸出国機構(OAPEC)はイスラエルを支援する米国とオランダに対して原油輸出を停止し、支援はしていないがアラブ諸国に対して非友好的な国に対して原油輸出を削減する、と発表した。これをアラブ産油国による「石油戦略の発動」という。

 世界中がひっくり返るような大騒ぎとなった。日本はアラブにもイスラエルにも中立だったのだが、米国の同盟国であり、アラブに非友好国とされる恐怖におののいた。

 けっきょく、12月に日本はアラブ友好国とされ、OAPECの原油輸出削減は行なわれなかったのだが、日本はあっというまにインフレが亢進することになった。

 11月16日に石油緊急対策要綱が閣議決定され、行政指導による統制が始まり、企業の買い占め、売り惜しみ、消費者が先を争って購入するパニックが広がったからである。

 石油緊急対策要綱にはこのような内容が含まれていた。

「諸外国においても各種のエネルギー消費抑制のための措置が採られているというような事態にかんがみ、国民全体が相協力してこの緊急事態に対処するため、官公庁の石油等の使用節約について特別の申合わせを行うとともに、産業界、一般国民等に対し、室内温度の適正化(20℃)、広告用装飾用照明の自粛、不要不急のマイカー使用の自粛、高速道路における高速運転の自粛、不要不急の旅行の自粛、週休2日制の普及促進等をはじめとする石油等の消費節約のための全国民的な運動を展開する。 また、石油販売業者、電気事業者その他各産業団体に対し、具体的なエネルギー節約の仕方に関する広報活動を行うことを要請する。」(1973年11月16日閣議決定、財団法人省エネルギーセンターのホームページから)