さらに支援金の使用を効果的にするため、資金投下する競技種目の選別も行われる。

 五輪メダル数と経済力の関係について分析した英「エコノミスト」誌の記事によると「他国が見逃している自国の伝統競技に力を入れると共に、種目が多くてメダル数が稼げるような競技(例えば自転車競技)を選別する。英国のメダル獲得の成功は勝利の可能性が低いスポーツや選手への資金援助をカットし、可能性の高い者にそれを振り向けるという非情なまでの決断によったところがある。自転車競技の選手たち2012年の活躍に資金の増額で応じ、失敗したバレーボールに対しては大鉈を振るったのである。同じような感情を殺した取り組みがオーストラリアの成功をかつてもたらした。しかし、2000年のシドニー大会後、スポーツの俊英世代がリタイアすると成績は下降線をたどり、リオ大会での再取り組みも起死回生には至っていないのである」(2016年8月20日号)。

 実際、英国はロス大会では自転車競技だけで、メダル数12個、うち金メダル6個を獲得し、世界第2位の地位に大きく貢献している。

 エコノミスト誌は、経済誌らしく、オリンピックのメダル数についての教訓を経済成長にも生かせるとしたら何かという問いを発し、同様の取り組みを産業政策に対しても講じることであるとまとめている。「選手と同じように最も勝てる産業を支援すること。失敗は何もしないことからだけから生まれる」というわけである。

 もっとも、同誌は、公共財を供給する産業政策とは異なり、金銀銅にしか着目しないオリンピック対策は長い目では国民生活とのズレを生じさせ、国民スポーツの基盤が脆弱化して元も子もなくなる危険性がある点を指摘するのも忘れていない。国民的な自転車大国をめざしているわけでもないのに、他を犠牲にして自転車競技に力を注げば社会にゆがみが生じるというのである。

2020年の東京大会では
メダル数を期待すべきではない

 古代ローマの為政者は人気取りと政権安定のため「パンとサーカス」を民衆にふるまった。ここでサーカスとは、古代ローマでは円形のサークルで催された競技大会をさす。また、競馬に熱中している限り英国に社会主義が発生することはないとドイツ帝国の鉄血宰相ビスマルクは言ったという。

 オリンピックは所詮現代のサーカスと位置づける英国流の諧謔精神に立って、「サーカスよりパンの方が大切なのだ」とエコノミスト誌の記事の最後は締められている。確かに、リオ大会でのロシアや中国のメダル数の落ち込みは、国を挙げての人気取り政策の皮肉な結果と考えてもおかしくはない。

 リオ市内での総括記者会見(8月21日)で、日本選手団の橋本聖子団長は「メダルの数を増やすために頑張っていると思われがちだが、まずは人としてどうあるべきかが大切。人間力なくして競技力向上なし。自分自身に強い自信を持てる人間はどんな時にも対応力があるし、どんな人にも優しくできる。五輪を教育として捉えた時に、メダルの数より大事なことだ」と話し、「メダル至上主義」ではないことを強調したという(朝日新聞2016年8月22日)。

 かつて五輪選手だった橋本氏の発言は立派だし、説得力がある。ロシアのような国関与のドーピングによるメダル増は論外だが、英国のような競技種目を選別するような「非情なまでの」決断だって「人間力」からは遠い。日本でメダル数を増やすには高校野球を衰退させればよいのかもしれないが、それは余りに非情だろう。

 そうしてみると、経済力が成長途上だった1964年の東京オリンピックのときのような、あるいは中国や英国といった最近のオリンピック開催国におけるようなメダル数の大きな躍進を、2020年の東京大会で期待することは難しいという結論となる。超高齢化を迎え日本経済の財政力にも限りがあること、また日本の政権運営において、メダル数の大躍進で国民を熱狂させなければならないほどの不安定要素もないことを考えると、ますますそうである。国民スポーツの基盤がオリンピックを契機に少しでも増強されれば、それでよしとすべきなのかもしれない。