「自分にしかできないこと」を見つける努力

御立 ところでJALで働いていた当時、イラン・イラク戦争に直面したことがありました。私はレスキュー便に乗ってトルコのアンカラへ行き、そこで現地のプラント工事に携わっていた技術者たちをバンコクまで乗せて帰ったんです。このとき、ちょっとしたハプニングが起きたことを覚えています。

山梨 ほう!どんなハプニングですか?

御立 バンコクに着いた彼らは、ビールを飲みたがったんです。ところが皆、お金は山ほど持っているんだけど、すべて100ドル札なんですよ。それで全員が「ビールがほしい」と言うもんだから、おつりがなくてCAたちが困ってしまいまして。

 そのとき私は瞬間的に「親分は誰ですか?」と聞いたんです。こういう現場って、必ず統括している人がいますから。それで親分のところに行って、「悪いけどおつりがないから、アナタが皆にビールを奢ってあげてくれないか」と交渉したんです。それで親分から100ドル札を1枚もらって、他の人たちには「今日のビールはタダだ」と渡したわけです。

 そのとき以来、つねに「自分にしかできないことは何だろう?」と考えて、探していくようになったんです。やはり自分にしかできないことを見つけないと、自分に付加価値がつかないなと思いまして。

山梨 それは絶対に必要だと思いますね。

御立 ところが、優秀な人間がマネージャーになったものの苦労しているのを見ると、たいていがこの逆をやっているんです。というのもその人は、昨日まで自分がやっていた仕事を部下がやっているのを見ることになるから。すると当たり前なんだけど、つい自分のほうができると思って、それをやりにいっちゃうんですよ。

 でもそれは、自分にしかできないことをしているんじゃなくて、80点を100点にするための下の人間の努力を自分が背負い込んでいることになる。当然、プロジェクトは進まなくなってしまいますよね。だから「いい努力」のバージョン2は、どうやって自分にしかできないことを見つけ、そこで付加価値をつけるか、その意識をつねに持つ努力とも言えるかもしれませんね。

山梨 いま、おっしゃったように、自分で関わる「ハンズオン」と、あえて手放す「ハンズオフ」のバランスはすごく難しいところですよね。僕もそうですが、現場の第一線での経験や実績がある人はつねにハンズオンになってしまう癖があります。だからといってハンズオフになる際に、今度は思いっきりハンズオフになってしまって、下からの案を待ってイエス・ノーを言うだけでは駄目。でも、一般企業の中ではこの両極端がよく起こっています。