孔子は『論語』で必ずしも
「忠」を重視してはいなかった

 碩学の中国史家・宮崎市定は、孔子の思想を考える材料として論語に出てくるキーワードの回数を示している(図1参照)。

◆図1 論語のキーワード頻度

©本川裕 ダイヤモンド社 禁無断転載
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 宮崎市定は、このランキングを示した「論語の新しい読み方 」で、次のように言っている。

「仁」は、さすがに孔子の教育の目標なので非常に多く、97回とトップとなっている。次に多いのは「礼」だが、これは後述するように孔子の職業に最も深く関係している。信頼の「信」は、君主に対して使えないこともないがむしろ人民と人民との間、国民同士の間の道徳として3番目に多い。親孝行の「孝」と忠節の「忠」は同じ18回だが、君主に対する忠というケースは、わずかに3回だけである。他の15回は忠信とか忠恕とかいう風に、むしろ一般的な道徳として使われている。

 ここで孔子の職業とは、古来伝わった儀式(常に音楽を伴う)の指南役として俸給、謝礼を得る職業集団を孔子が率いていたことを指す。この儀式のしきたりや精神、すなわち「礼」について「学んで時に之を習う。亦悦ばしからずや」だった訳である。著名な漢字学者の白川静は孔子を「葬儀屋集団のリーダー」と呼んでいる。

 儒教は忠孝を重んじる教えと考えられることが多いが、それは後代の解釈や意義づけの影響によるものであり、儒教の祖である孔子は、そんな風には考えていなかったことをキーワードランキングで示している。

 特に「忠」は孔子以降に誕生した領域国家の支配者が自分に都合の良いように重要な徳として祭り上げた側面が強く、それが日本で、特に戦前の大日本帝国で受け継がれたのである。

 宮崎市定は「中国史」の中でこう述べている。論語は「忠孝を柱として道徳を説いたように考えられているが、実際は孔子の忠はそんな意味ではなかった。忠とは君に対してのみならず、特定の知人に対して誠実なることの謂であった。(中略)孔子が最も力説したのは信であった。信は一般的人間生活、特に(孔子の生きた時代に支配的であった)都市国家における市民間の信頼関係であった、正に社会道徳の根幹たるべきものであった」(カッコ内は引用者による)。

 このように、古来の注釈家の迷妄を払って歴史的に論語を解釈するという立場の宮崎市定から、「忠」を孔子がさほど重視していたわけではないことが示されると、日本人としては意外であり、また新鮮な感じがすることになる訳である。