「前にも話したが、自然界では弱肉強食が当たり前だろう?

 弱い者は朽ちて、強い者が生き残る。

 ジュラシック・ワールドの世界のように、草食恐竜がやられ、ラプトルとモササウルスは生き延びるのだ。

 自然界では、弱肉強食は当たり前のごくごく自然なことだが、人間界では、強い者が生き残り、弱い者が朽ちることは理不尽だとされることがある。
“弱い人の気持ちを考えろ”だとか“人としてそれはどうなのか”とか。

 弱者にも優しいのが人間界だ。

 例えば、人間界では、人を傷つけることは悪いことだ。

 しかし、自然界では弱者が強者に食われてしまうなど、日常茶飯事だ。

 ではなぜ、人間界では人を傷つけてはいけないのか?

 現代的に考えるとおそらく一番の要因は、人間が社会に参加しているからだ。

 私たちは生まれた時から社会に参加している。社会に参加しているとは秩序やルールを保つことだ。秩序を保つと、メリットがある。秩序やルールによって、安全が確保されるので、自然界のような弱肉強食とは一線を画すのだ。
つまり、弱肉強食の世界にいるよりも、自分の身の安全を保つことが出来るのだ。

 逆に言えば、自分の身の安全を保つためには、一人ひとりがルールを守らなければいけないということになる。

 しかし、人間も生物である。生物には、“力への意志”がある。生物に限らず、自然界にある万物には“力への意志”があるのだ」

「力への意志?」

(つづく)

【『ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。』試読版 第15回】さきほど話していた“悪”について、もうひとつ話そう

原田まりる(はらだ・まりる)
作家・コラムニスト・哲学ナビゲーター
1985年 京都府生まれ。哲学の道の側で育ち高校生時、哲学書に出会い感銘を受ける。京都女子大学中退。著書に、「私の体を鞭打つ言葉」(サンマーク出版)がある