17歳の女子高生・児嶋アリサはアルバイトの帰り道、「哲学の道」で哲学者・ニーチェと出会って、哲学のことを考え始めます。
そしてお休みの土曜日、またまたやってきたニーチェは、悪のことについて話しはじめるのでした。
ニーチェ、キルケゴール、サルトル、ショーペンハウアー、ハイデガー、ヤスパースなど、哲学の偉人たちがぞくぞくと現代的風貌となって京都に現れ、アリサに、“哲学する“とは何か、を教えていく感動の哲学エンタメ小説『ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。』。今回は、先読み版の第15回めです。
そうだ。悪についてだ、こんな晴れやかな朝には似合わないか?
「うう、お腹がすいた、アリサ何かないだろうか」
「んーごめん、家には何もないや、ガムと飴くらいしか」
「そうか……」
「じゃあ、近くのコンビニに行くか、それか市役所らへんにあるパン屋さんでも行く?」
「パン?そのパン屋は美味いのか?」
「うん、まあ口に合うかはわからないけど、美味しいと思うよ」
「そうか、ではアリサいますぐにパン屋に向かうぞ!さあ急ぐのだ!」
ニーチェは急に元気を取り戻し、玄関の外に飛び出した。朝からなんて慌ただしい人なのだろう。一人でゆっくり過ごすつもりの休日は、ニーチェが訪ねてきたことによって急に慌ただしく、賑やかな朝へと変わったのだった。
そんなニーチェのペースに合わせるべく、私はスウェット姿のまま、家の鍵と財布だけ持ちニーチェのあとを追った。
外へ出ると、まだ青く染まりきっていない、白っぽさの残る空が淡く広がっている。
町を囲む遠くの山々には白い霞がぼんやりと漂い、まるで山があくびをしているようにも見える。
鳩の鳴き声と雀のさえずりは朝を知らせ、まだ機能していない町の路地では、石畳を濡らす打ち水の音、ひしゃくが桶に当たる小さな木の音と、大通りを走る車の静かなエンジン音が、街を徐々に目覚めさせていく。
まだ涼しく、しっとりやわらかい、京都の朝の中を、私とニーチェは歩いた。
私が一人暮らしをするマンションから、市役所へと行く道の途中には、「京都御所」と呼ばれる広大な名所がある。正式には、京都御所というのは歴代の皇室の方が住んでいた建物のことで、京都御所を含む広大な敷地は京都御苑というらしいのだが、京都の人たちは京都御苑のことを「京都御所」と呼んでいる。
そんな京都御苑は、今出川駅と丸太町駅の間に広がっており、外から見ると、一見森のように見えるのだが、中には池や、綺麗に舗装された開放感溢れる真っ白なじゃり道が広がっており、外側から見た森のイメージとはまったく異なり、整備された空間が広がっている。
私たちは、そんな京都御苑の南側の道を通り、市役所のそばにあるパン屋さんへと向かった。
京都御苑の南側にある丸太町通は、京都御苑に茂る木々が静かに揺れ、誰を気にすることもなく、鳥がそれぞれに自由にさえずっていた。
「アリサ、さきほどの話の続きをしようではないか」
「さっきの話って、悪とか善について?」
「そうだ。悪についてだ、こんな晴れやかな朝には似合わないか?」
「いや、大丈夫だよ。逆に楽な気持ちで聞けるわ」
「そうか、さきほど話していた“悪”について、もうひとつ話そう」
ニーチェはそう前置きすると、深呼吸をしてから静かに、語りだした。