2008年に勃発したリーマンショックでは、実際にはリスクの高い商品をそうでないように誤認させて販売するなどして巨利を得ていた金融機関や、高利を求める投資家の姿勢が「グリード(強欲)」との批判を浴びた。それから8年、当局による規制が強化されると同時に、金融機関や投資家の側にも社会的責任を意識した投融資を行おうという姿勢が強まっている。果たして日本でもその動きは加速するのだろうか。

各運用会社や銀行が適切に投融資を行っても
社会の安定や発展を阻害することがある

 これまで筆者は、運用機関は、投資家に対する受託者責任に基づいて投資家利益を極大化するよう努める責務があることを強調してきた。また、銀行が融資を行う際には、資金調達元である預金者や社債権者、そして株主の利益を考える必要があることは言うまでもない。

 しかし、各運用会社や銀行が上記目的に沿って適切に投融資を行ったとしても、それが「合成の誤謬(ごびゅう)」を引き起こし、社会の安定や発展を阻害してしまい、長い目で見ると投融資のリターンを引き下げてしまうこともある。「合成の誤謬」とは、経済学でよく用いられる用語で、「一人ひとりが正しいとされる行動をとったとしても、全員が同じ行動を実行したことにより想定と逆に思わぬ悪い結果を招いてしまう現象」のことだ。

 例えば、銀行は、自己査定基準が厳格化された結果として、審査を厳しくすると同時に、担保評価分までは不良債権に分類される恐れがない担保付融資を重視する傾向にある。これは上記のような銀行の責務に照らせば妥当な行動であるが、社会全体で見れば、不動産業など担保余力が大きい企業にばかり融資が集中する一方で、事業内容を審査して妥当であれば無担保でも融資を行うという本来の銀行業の使命が果たせず、担保がないベンチャー企業やITサービス業などが苦しい立場に追い込まれ、社会のイノベーションを阻害する。その結果、銀行は融資先の枯渇に悩むことになりかねない。

 また、高収益で財務基盤も強い企業は、銀行の審査の目線では優良な融資先であろうが、仮にその企業の高収益性が、後進国における人身取引、強制労働、性的搾取など一種の奴隷制度によって成り立っているとすると、そういう企業を融資で支援することは、長い目で見ると世界の人々の格差を拡大し、世界経済や社会の不安定度を増し、結果的に銀行の安定的な収益機会を奪ってしまう可能性がある。

 現に、英国では、2015年3月に、現代の奴隷制を防止する法律である「Modern Slavery Act 2015 (現代奴隷法)」が制定されており、日本でもいわゆる「ブラック企業」が問題になっている折から、銀行や運用会社は、企業の目先の財務状態だけで判断するのではなく、その企業のサプライチェーン全体を見渡して社会的に適切な投融資であるかを判断する必要に迫られている。