ハードワークに疲弊しているのは
日本人もアメリカ人も同じ
本連載「黒い心理学」では、ビジネスパーソンを蝕む「心のダークサイド」がいかにブラックな職場をつくり上げていくか、心理学の研究をベースに解説している。
前回の記事では、「幸せな働き方」について述べた。
筆者が述べたのは「幸せな働き方」を実現するためには、(1)やりたいことを具体的に描き、(2)自分の実力と付加価値を客観的に評価し、(3)必要なスキルと能力を身につけることが必要――ということだった。その記事を読んだ長年の友人から、感想をもらった。内容を簡単に言えば、
「お前の言ってることはもっともだが、幸せに働くなんて、今の日本では無理。というか、高度成長時代でも、大多数の日本人の働き方は、幸せそっちのけのエコノミックアニマルだったぞ」
というものだった。
確かにうなずける批判である。会社や公共組織に勤める人々が、自分の裁量でできることは限られている。戦後の日本の雇用システムの中で、そういう選択ができる機会は狭められ、それが制度化していったため、今その弊害が顕著になっている。仮に自分の幸せな働き方をイメージできたとしても、それを実現できる選択肢は少ないのかもしれない。ただ、幸せに働くことが実際には「とてつもなく難しい」ことであっても、筆者個人としては「幸せに働ける可能性」を追うことは、止めてはいけないと思っている。
そんな中、アメリカにいる別の友人からは、こんなコメントをもらった。
「今、アメリカも似たようなもんだ。アメリカ人は、自分が大変だとは認めたがらないから、表向きは涼しい顔してるけど、忙しすぎてヒーヒー言ってるやつは、結構多いよ。さすがに過労死まではいかないけどね」
前回の記事でも触れたが、グローバル化の進行とともに、企業は一時も立ち止まれなくなっている。常に創造性を発揮し、新しい展開を考えなければ、生き残れないのだ。
家電市場における日本メーカーの没落が良い例だ。カルロス・ゴーン氏も最近のインタビューで「実は私は変化が嫌いだ」と述べている。にもかかわらず、彼が改革を行うのは、改革しなくては生き抜けないことを知っているからだ。そして、改革者として世界有数の成功を成し遂げた彼でさえ、それが嫌いなのだ。
この意味で、日本のみならず、世界のビジネスパーソンは、昔よりもはるかに時間とプレッシャーと責任に追われるようになってきたのだと思う。その中で「幸せに働く」ことはどんどん難しくなっている。