員数主義で上司は責任放棄、
現場部隊も現実を無視し始める

「空気」の研究』の著者、山本七平氏は23歳で太平洋戦争のルソン島の戦闘に、砲兵士官として参加しています。

 日本軍は、タテマエとしては厳罰主義・責任の所在を明らかにする組織でした。ここでタテマエと書いているのは、現実には厳罰主義に対抗するために「責任逃れの方法」も高度に発達させた側面があることも、山本氏の著作などで指摘されているからです。

 山本氏は、砲兵として従軍したのち、フィリピンのルソン島で敗戦を迎えます。その時の体験や収容所での他の日本兵の話から、日本軍の最大の敗北要因を“員数主義”だったとしています(員数=本来は兵の数の意味)。では、本来は単に兵数を確認する意味の「員数」を日本軍はどう扱ったのか。

「『数さえ合っていればそれでよい』が基本的態度であって、その内実は全く問わないという形式主義、それが員数主義の基本なのである。それは当然に、『員数が合わなければ処罰』から『員数さえ合っていれば不問』へと進む。従って『員数を合す』ためには何でもやる。
『紛失しました』という言葉は日本軍にはない。この言葉を口にした瞬間、
『バカヤロー、員数をつけてこい』
という言葉が、ビンタとともにはねかえってくる。紛失すれば『員数をつけてくる』すなわち盗んでくるのである」(山本七平・著『一下級将校の見た帝国陸軍』より)

 部下が○○と報告すれば、現実と食い違っていても不問にする。山本氏は、日本軍内で行なわれていた「私的制裁の横行」も、誰も指摘しないことで「私的制裁はない」ということになっていた、と書いています。現実を把握するよりも、員数主義でつじつまが合っているほうが、(上官は特に)問題が表面化しないからです。

 フィリピンのレイテ島の東にあるネグロス島は、日本軍が航空要塞を作っていると言われた島であり、その存在を信じている兵士も多かったのですが、

「ネグロス空の要塞というから、どんな物かと思ったらピナルバカン…(ほか九ヵ所)などに、毎日の爆撃で穴だらけになった飛行場群に焼け残りの飛行機が若干やぶかげに隠されているだけだ」(前出『一下級将校の見た帝国陸軍』より、虜人日記の小松氏の記述)

 米軍が手痛い被害をこうむるだろうとフィリピンの多数の日本兵たちが信じていた、鉄壁のネグロス要塞基地は、実際にはほとんど何もない、穴だらけの飛行場に過ぎなかったのです。山本氏は痛烈な言葉で、員数主義の構造を描いています。

「なぜこうなったのか。それは、自転する“組織”の上に乗った、『不可能命令とそれに対する員数報告』で構成される虚構の世界を『事実』としたからである。日本軍は米軍に敗れたのではない。米軍という現実の打撃にこの虚構を吹き飛ばされて降伏したのである」(前出『一下級将校の見た帝国陸軍』より)

 山本氏はルソン島で、カガヤン川のある場所で主力部隊の撤退を支援するために「左岸からゲリラを一掃スベシ」との命令を受けます。

「大体、左岸のゲリラを一掃せよなどという命令が、不可能命令である。米軍はすでに上陸し、彼らは十分すぎるほど十分に武器弾薬の補給を受け(中略)、一方われわれはすでに補給ゼロ。しかも相手は住民と区別がつかない。結局、討伐隊はこの不可能命令に対して員数報告を出す以外にない。すると『員数ではゲリラ、ゼロ』になる」

 目の前に問題があっても、不可能命令を上から下された日本兵は、苦し紛れに「問題などありませんでした」と報告するしかないのです。命令は上から下の一方通行だからです。仕方がないので兵員や兵器が欠けていても「員数を合せて報告する」。現実を把握しようとしない上官は、「員数報告が積み上がり」ありもしない要塞を最後の頼みの綱とする虚構の世界で生きることになります。

 山本氏は「日本軍に紛失しましたという言葉はない」としていますが、日本軍が「撤退」を、常に「転進」と言い換えたことは有名です。「撤退」という正しい言葉を使うと、責任の所在を明らかにしなければいけないからです(関連記事「破綻する組織は「言葉」を奪い始める」。

 日本では議論するため会議をしていないという主旨の指摘も山本氏はしています。「会議で決まった」というように、決断の責任者である個人を隠す仕組みとして利用されている側面があるからです。

 軍事組織のタテマエとして、勇ましい敢闘精神を重視し、その一方で現実の問題に対するフィードバックを上層部が受け付けない。結果として、責任の所在をあいまいにする多数のテクニックと、そのような組織で出世するための「要領の良さ」が生まれます。