この際蛇足ながら付言しておくと、黒船という言葉そのものは戦国期から存在する。
西欧列強の航洋船は、防水のため黒色のピッチを塗っている。その色で「黒船」というのだが、それはペリー艦隊に対してだけでなく、日本人はそれ以前にイギリスやロシア、古くはポルトガルの黒船と接触している。
また、未開国の江戸期日本と先進国の西欧列強という構図で黒船来航を教えられている現代人は、黒船を蒸気船であると思い込んでおり、蒸気船であることが幕府をはじめ江戸市中の人びとを恐怖のどん底に落とし込んだなどという勝手な物語を創り上げているが、帆船も「黒船」であった。
ペリーは四艦で来航したが、蒸気外輪船は旗艦「サスケハナ」と「ミシシッピ」のみで、あとの二艦は帆船であった。
それ以外にいちいち挙げていてはキリがないが、ペリー来航時の事柄についても、いい加減なドラマの乱造の影響か、とにかく多くのでたらめが罷(まか)り通っているのだ。