御所の塀が低い意味

 私は、御所の塀が低いことに機会あるごとにしつこく触れてきた。この塀の低さは、それほど歴史的に重視すべき事実であると考えているからである。

 天皇のおわす御所は、現代感覚からすれば、或いはもともと狩猟民族であるヨーロッパ諸民族の感覚からすれば、異常に無防備な造りであるといえる。

 この無防備さが、秋津島と美称されるこの平和な島国における天皇の存在の実相をよく表わしていると考えているのだ。

 天皇権力が確立したと認められる中世前期以降、天皇に危害を加えようという発想をもつ者などいなかったのである。

 このような天皇の、民族に於ける位置というものに歳月が重なり、現代風にいえば天皇という存在は「民族統合の象徴」として確立したのである。

 私が、今の憲法が天皇の位置に言及していることを「笑止千万」というのは、この国の庶民が、アメリカという新興国家の占領軍にいわれるまでもなく、何百年という単位で天皇に寄り添って生きてきたという歴史の蓄積が厳然と存在するからである。

 岩倉や薩長過激派が錦旗の偽物をいとも簡単に作ったのと同じように、ささっと今の憲法を速成(そくせい)した占領軍民政局のことは今は措(お)くとしても、このような天皇の位置は、江戸期には陽は東から昇るという真理のように確立していたのだ。

 江戸中期以降、永きに亘った平和の成果として諸学が隆盛し、それは儒学及びその派生とみられるジャンルのみならず、浮世絵に代表される芸術ジャンルから世界最高水準とされる和算のような理数ジャンルにまで及び、江戸期日本は世界的にみても高度な文化国家として円熟していたのである。