2010年11月、りそなホールディングス(HD)が発表した前代未聞の増資計画に市場は猛反発、株価は急落した。しかし、脱国有化を目指すりそなHDには、増資以外に取るべき道はなかった。実質国有化から約8年、公的資金の呪縛にとらわれながらも、大ナタを振るった“細谷改革”の成果はいかに。その内情に迫った。(「週刊ダイヤモンド」編集部 鈴木崇久)

周囲の猛反発覚悟で踏み出した
公的資金返済への舞台裏

都心の大手町から下町情緒溢れる江東区の木場へ本社を移転。メガバンクとは違う道を歩むことを内外に示した
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「誰にも相談しないで、ずっと悩み続けた」──。

 2010年の師走も押し迫る頃、りそなホールディングス(HD)の細谷英二会長は1人、思いを巡らせていた。総資産40兆円を超える国内4位の銀行グループの行く末を左右する、重大な決断を迫られていたのだ。

 1ヵ月ほど前の10年11月、りそなHDは「りそな資本再構築プラン」を発表し、公的資金を返済するための増資計画を打ち出した。集める金額は6000億円規模。今まで貯めてきた利益剰余金の3000億円程度と合わせて、一気に公的資金の返済を進めようという内容だった。

 増資とは本来、成長戦略を伴うもの。でなければ株式価値の希薄化は免れず、株主の理解は得にくいからだ。それを公的資金返済に回すというのだから、異例の増資計画といえた。

 目的もさることながら、集める金額もまた異例だった。当時のりそなHDの時価総額と、ほぼ同額に当たる規模だったからだ。以前から増資はしないと公言していたこともあって、マーケットには衝撃が走った。

 りそなHDは、国が保有する優先株を買い取ることによって、普通株に転換され希薄化が起きる“潜在的”なリスクを減らしたと説明、単純な希薄化ではないと理解を求めたがマーケットは納得しなかった。発表当日、株価は612円から512円まで急落、ストップ安を記録した。