2008年6月14日午前、仙台市内に住んでいた記者は、激しい横揺れに飛び起きました。本棚は崩れ、床には割れたグラスの破片が散乱。最大震度6強を観測した岩手・宮城内陸地震でした。
当時、新聞社の地方支局に勤務していた記者は、部屋の惨状をそのままに、震源地へとクルマを飛ばしました。道中、目の前の山が崩れる瞬間を目の当たりにして、ハンドルを握る手が震えたことを覚えています。やっとの思いで辿り着いた現地には、目を背けたくなるような惨状が広がっていました。
2011年3月11日午後、テレビ越しに飛び込んでくる映像は、記者が踏んだどんな現場の風景とも違っていました。
世界の地震観測史上五指に入る巨大地震は、南北に果てしなく延びた大津波を生み、沿岸の街々を呑み込みました。死者・行方不明者は1万人を超すと言います。
被害の規模で被災者の心情を計ることはできないし、それは暴挙にほかなりません。ただその規模に比例して、復興にかかる予算と時間が増大するのは確かでしょう。被害が過去最大級ならば、当然、経済に与える損失も膨大。マグニチュード9.0という巨大震災の経済的損失は、20兆円にも上るとされ、復興の財源には不安が付きまといます。
記者が岩手・宮城内陸地震の取材を通じて感じたのは、震災からの復興が過酷で多くの困難を伴うということ。今回の地震は、あらゆる社会インフラを寸断し、経済活動をマヒさせ、ついには高濃度の放射能漏れという危機を引き起こしました。
未曾有の国難にどう立ち向かうべきか。その処方箋を探るため、今、この国で何が起きているのか緊急取材しました。世界を震撼させた福島第一原子力発電所の事故では、「炉心溶融」が起こり、その危機は今まさに進行中です。本誌の取材で、福島第一原発がトラブル多発の〝札付き〟原発だったことが明らかとなりました。さらに、今回の事故が深刻化した背景に、「人災」の影が見え隠れすることもわかりました。
日本の基幹産業でも、工場が操業停止に追い込まれ、甚大な被害を受けた企業は数え切れません。交通網や通信網が復旧してきたことで、止まっていた企業の物流ルートが徐々に回復し、被災地にも物資が届き始めました。
ただ、正念場はこれからです。この特集が復興に向けたヒントになることを願って止みません。
最後になりましたが、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆さま、そのご家族の方々に心よりお見舞い申し上げます。
(『週刊ダイヤモンド』編集部 山口圭介)