Photo by Daisuke Aikawa
「求人をかけても誰も集まらない」。2006年9月、キャンバスマップルを知人らと立ち上げた山本幸裕は頭を抱えていた。新事業は成功すると確信していたが、必要な人材が新しい名の会社に見向きもしなかったのだ。
勝算はあった。山本は「マップル」を電子化する事業に取り組んでいた。シェア85%を誇る道路地図と約100冊に及ぶ観光ガイド誌に眠る情報をカーナビに移す。「宝の持ち腐れ」となっていた紙情報に息を吹き込むのだ。
たとえば「渋滞ぬけみち道路地図」がある。これはタクシーの運転手や運送業者を丹念に取材し、スクールゾーンを避けながら抜け道を示したものだ。紙の発行はやめたが渋滞時の情報として生かすことがかなった。
パイオニアのカーナビ事業担当者から転身した山本は、マップル発行元の昭文社と組んだことで「人がいて物が作れれば絶対に成功する」と信じていた。事業のカギは、カーナビ開発において基礎となる六つの技術に加え、二つの電子化技術だった。それは(1)地図表示、(2)目的地検索、(3)ルート探索、(4)誘導機能、(5)GPS機能、(6)位置情報、(7)紙地図のデータ化、(8)ガイド誌のデータ化だ。八つの技術を担う人材の確保が急務だった。
集まらなければ自ら探す。8人の技術者を探す旅が始まった。北海道から九州まで50~60人に会いに全国を飛び回った。食事会の「はしご」は当然だった。午後6時から食事を取り、午後9時からもまた一から食事を取る。相手の妻が難色を示せばその妻も招く。その場でダメでも半年後には「そろそろ来られるか」と説得を続けた。
1年たちお腹のベルトはきつくなったが、大手メーカーを中心に8人集めることができた。山本は「南総里見八犬伝の八つの玉を探す旅のようだった。ドリームチームができた」と言う。
楽しむナビで差別化図り
テレビ通販に販路を広げ
女性層にヒットさせる
山本の開発した「マップルナビ」は女性の心をつかんだ。
ドライブ中、地図だけでなく秘境の滝も紹介する。富士山がよく見える場所も案内する。早く目的地に着くだけではなく、寄り道を楽しんでもらうのだ。
マップルナビを搭載した小型携帯カーナビの10年度の販売台数は24万台になる見込みだ。大手メーカーがひしめくなか、携帯型カーナビの国内市場で参入からわずか3年でシェア20%を獲得することになる。
躍進した理由は主に三つある。まず、マップルのコンテンツを最大限生かした。開発は3メーカーと組み小型携帯カーナビに絞った。部屋で使える「電子ガイドブック」の特色を出した。