チュニジアからエジプト、イエメン、バーレーン、シリアそしてリビアへと中東・北アフリカ各地に広がる民主化運動の波。その主役たる反政府運動家たちの理論的支柱となっている一人の米国人の存在が注目を集めている。独裁政権に挑む「戦略的非暴力論」で知られ、ノーベル平和賞の候補にも名前が挙がっているマサチューセッツ大学名誉教授のジーン・シャープ博士(83歳)だ。その理論は、単なる非抵抗主義ではなく、独裁政権のなりたちを細部まで分析し、打倒に向けた戦略を具体的に示している点に大きな特徴がある。「非暴力のマキャベリ」「非暴力的戦争論のクラウゼヴィッツ」と称される稀代の理論家に、アラブ世界を席巻する民主化運動の行方、そして共産党一党独裁を続ける中国や北朝鮮と向かい合う日本へのアドバイスを聞く。ビンラディン後のアラブそして世界情勢の行方を読み解くヒントがここにある。
(聞き手/ジャーナリスト 瀧口範子 ※本稿は3月28日に掲載されたインタビューを再掲載したものです。尚、シャープ博士の著書『独裁体制から民主主義へ』の邦語訳(瀧口範子翻訳)は、シャープ博士主宰のアインシュタイン研究所の同意、協力の元に、2012年夏筑摩書房から刊行されました。

――あなたが1993年に出版した『独裁から民主主義へ(From Dictatorship to Democracy)』は、エジプトで多くの反政府運動家たちによって読まれ、非暴力革命の推進力になった。北アフリカ・中東での市民の動きをどう分析しているか。

ジーン・シャープ(Gene Sharp) 1928年オハイオ州生まれ。オハイオ州立大学卒業後、オックスフォード大学で政治理論の博士号取得。ハーバード大学国際関係センターで30年にわたり研究職に。現在はボストンのアルバート・アインシュタイン研究所上級研究者で、マサチューセッツ大学ダートマス校の名誉教授。非暴力主義に関する研究で知られ、その著書はビルマ(現ミャンマー)、バルト三国、セルビアなどの反政府運動や独立運動に大きな影響を与えた。現在中東・北アフリカに広がる反政府運動家のあいだでも、『From Dictatorship to Democracy』『The Politics of Nonviolent Action』『Waging Nonviolent Struggle: Twentieth Century Practice and Twenty-First Century Potential』などは、指導書とし読み継がれている。
Photo by Marilyn Humphries

 まず最初に、彼らが私の著書を元に行動したという証拠はないことをはっきりさせておきたい。私に接触してきた人間もいないので、自分の手柄を宣伝するようなことはしたくない。ただ、ひょっとしたら参考にしていたかも知れないと思えるのは、エジプトの市民がムバラク政権との「交渉」に臨まなかったことだ。交渉すれば、希望の半分はかなえられると考えるのが普通の感覚だろう。しかし、独裁政権は交渉によって民衆をたぶらかす術を心得ている。最終的には希望はほとんど受け入れられないものだ。

 また、市民が自らの「恐怖心」を払拭したことも、私の著書と通じるところがある。独裁政権や警察、軍隊は、民衆の中に恐怖心を植え付け、それを道具として操っている。だが、その恐怖心がなくなると、彼らを治めることができなくなる。さらに、ごく一部の例外を除いて、彼らが「非暴力」という規律を失わずに運動を続けたことも私の考えと合致している。大きなデモのどこかで暴力が起こりそうになると、「平和に、平和に」と周りの人間が唱えていた。そういうことは、あらかじめ取り決めておかなければできないことだ。

――チュニジアからエジプトに飛び火した反政府運動は、中東・北アフリカの各地に広がっている。しかし、リビアではカダフィ政権と反体制側のあいだで武力衝突が発生し、しかもその後、米英仏などの多国籍軍がカダフィ政権を攻撃し、暴力の応酬になってしまった。独裁国家を民主主義国家に変える方法としては、これは間違ったやり方だと見ているか。

 もちろんだ。独裁政権側は、兵器、軍隊、秘密警察のすべてを持ち合わせている。そんな状況下で武器を取るのは、敵の最強の道具で勝とうとするようなものだ。どんな経緯で武器を取るに至ったのかは不明だが、最初は平和に始まったものが急に暴力的になった。独裁政権がそう差し向ける場合も多い。市民の力だけでは、下手をすると完敗する可能性もあっただろう。