「住み開き」という言葉をご存知だろうか? 「住み開き」とは、自宅や個人事務所など、プライベートな空間の一部を、本来の用途とは異なった手法でカフェ、ギャラリーなど、パブリックな空間として活用すること。
名付け親は、アーティストのアサダワタル氏。氏は、08年頃から新しいライフスタイルとして「住み開き」を提唱し、大阪で「住み開きアートプロジェクト」を企画するなど、精力的な活動を行なってきた。
東京においても、同プロジェクトが主催する相談会・後援会が開かれたり、「住み開き」という言葉こそ前面に出してはいないが、世田谷都市整備公社が母体の1つである財団法人「世田谷トラストまちづくり」が06年度より住居を「まちづくり」の一部として開放する「地域共生の家」づくりの支援を行うなど、じわじわと浸透しつつあった。
この「知る人ぞ知る」といったトレンドであった「住み開き」、最近テレビ番組で相次いで紹介されるなど、大きな注目を集めているのだ。
まずは、どのようにプライベート空間を「開いている」のかが気になるところ。カフェやギャラリーなどは、比較的容易に想像がつくが、前出の「世田谷トラストまちづくり」支援の「地域共生の家」の実績を見てみると、書庫を開放しての哲学カフェ、読書空間、一時保育など子育て支援の場、キッチンを開放しての「野草の会」などなど、なかなか多彩だ。
どのケースにも共通することは、最初からパブリックスペースとしてのコンセプトがあるのではなく、住み人や住居そのものの「個性」を活かした空間になっていることだと言えるだろう。
すなわち、「住み開き」の特徴は「プライベート」と「パブリック」の中間というより、その双方の特徴を有したものであること。そこを訪れる人も、「お客」として訪れるというより、「参加する」という感覚を持つのだろう。
同時に、あくまでプライベートな空間に入るわけであり、そのぶん、適切な節度、距離感が必要だとも言える。いわば、昭和の時代にあったご近所づきあいと同じく「距離は近いが、節度あり」というところだろうか。こうした意味で、「住み開き」は、住居のあり方と同時に、プライバシー重視の中で失われていったコミュニケーションスタイルを時代に即したカタチで新たに提唱したものとも言えるだろう。
このような視点からみると、「住み開き」が震災後に注目を集めている理由も見えてくるように思える。地域が丸ごと“消滅”したといってもいいほど甚大な被害をもたらした今回の大震災。防災の観点から見て、地域ネットワークの重要性を知らしめたと同時に、人は本来、地域とつながれて生活しているものだということを実感した人は多いのではないだろうか。そんな中で、「個」にのみ固執したスタイルに対するアンチテーゼとしての「住み開き」が注目されているのだと思われる。
もちろん、誰もが「住み開き」を実行できるわけではない。「開く」には、それなりに余裕のある住環境が必要であり、マンション暮らしの人にとっては夢かもしれない。だが、「住み開き」が示唆している「距離は近いが、節度あり」というコミュニケーションスタイルは、実際に「住み開き」を実行したり、そこに参加したりしなくても、実践できるのではないだろうか。こうした意味においても、「住み開き」がどのような形で浸透していくのかは、興味深い。
(梅村千恵/5時から作家塾(R))