ここで「えっ?」と疑問を持たれる方々はいないだろうか。生活保護以下の生活を放置しておくことを、少なくとも現在の日本国憲法は国に対して認めていない。国は国民に「健康で文化的な最低限度の生活」、言い換えれば「ゼイタクではないけれど普通の生活」を保障する義務を負っているからだ。

 生活保護以下の生活をする人々、すなわち国が義務を果たさない、果たせない結果となっている人々の生活実態は、生活保護基準を検討するという場面では、最初から「ないこと」にするべきなのだ。そうしなくては、生活保護基準はズルズルと「より低く、より低く」と流れていくことになる。

 生活保護基準を下げたいだけ下げることを可能にしてしまっている仕組みの危険性は、基準部会で委員から何度も指摘されている。また、基準部会以前に存在した生活保護関連委員会等でも、指摘され続けてきたようだ。しかし、この点に関する“見直し”が行われる気配はない。生活保護基準を「高すぎる」「下げるべき」と主張するにあたって、生活保護以下の生活を送る人々の怨念は、まことに好都合でもあるだろう。

 なお、現在の水準均衡方式は、様々な混乱の中で1980年代初頭に成立した。経緯も内容も、充分とは言えなかった当時の生活保護基準に対し、「低すぎるわけではない」と言いながら「なんとか現状維持を」と必死で抵抗した福祉論者たちと、引き下げに動こうとした官僚、経済界などの間におけるギリギリの妥協が含まれている。

 このため水準均衡方式には、不明瞭な点も、あいまいにできる部分も多い。たとえば「生活の中で必要だが、なくても死にはしない○○の最低限度」とは、他の何かを犠牲にすれば○○を守れるレベルなのか、それとも、どう努力しても守れなくなったレベルなのか。どちらを採用するかで、「最低限度」のレベルを高くすることも低くすることもできる。

  ともあれ、生活保護基準の「決め方」への深入りはやめて、基準部会に戻ることにしたい。

子どもがいる世帯の生活保護基準は
「こんなに下げてもまだ暮らせている」?

 6月6日の基準部会で提出された資料「これまでの生活保護基準見直しの影響について」では、2013年の生活費分(生活扶助)見直しによる減額幅と消費行動への影響、さらに2015年の家賃補助(住宅扶助)、暖房費(冬季加算)引き下げによる影響が検討されている。