──頭を使うだけでなく、実体験を積み重ねることが「生きる力」を伸ばすために重要、という先ほどの話につながりますね。

 ただ、いったん“環境”となってしまったテクノロジーを切り離すのは難しい。中高生に「スマホを1週間手放してみよう」と言ったところで、反発されるだけです。それよりも、情報の外にある「未知なるもの」に体当たりする体験を積み重ねられる仕組みづくりが必要で、そのモチベーションとなるのは「面白そう」という感覚だと思うんですよね。

──しかし、その「面白そう」という感覚は主観的なものですし、その感覚を培ってもらうアプローチが一番難しそうです。具体的にどうすべきなのでしょうか。

 教育を語る上で、教員も親も「未来のために、今、ガマンして努力するべき」という発想に陥りがちです。よく不登校や引きこもりなど、子どもが意欲を持てなくなる問題が起こりますが、それは「将来のために」というプレッシャーが強くなりすぎているから。現在の位置づけが相対的に弱くなり、「今が空っぽになる」状態に陥ってしまうのです。

 もちろん将来のための努力は必要ですが、人生が計画どおりに運ぶことは、安心ではある半面「面白い」という面がなくなってしまう。面白さとは、どうなるか分からない“余白”や“あいまいさ”から生まれるもので、未知数だからこそ、逆にどうすれば計画通りにいくか努力や工夫をするようになる。

 他人がお尻を叩いたり、目の前にニンジンをぶら下げたりしても、結局は外からの働き掛けに対して動いただけに過ぎず、当人は受け身なまま。「面白い」と感じれば、子どもたちは自発的に動き始めますし、成功体験を得ていけば「この状況をどうすれば面白くできるだろう」と、能動的に社会と関わろうという姿勢になるのだと思います。

 本来は「学力>人間力」「頭>実体験」とか、優劣をつける必要はないんです。極端に言うと「学び」も「遊び」も、新しい経験に出合って自分が変化するという点では同じですから、そもそも分ける必要などない。そんな「今」を充実させながら、「将来」への方向づけを促していく教育観がもっと出てくるべきだと考えています。