◇地方から中央へ

 1975年になると、元号に法的裏付けがないことが政治問題となった。左翼政権誕生が現実味を帯びると、元号が空白になりかねない状況に危機感を抱いた日青協の椛島たちは戦略を大きく転換した。葦津の考えに沿い、現憲法の解釈・運用に重点を置き、有利な状況をひとつずつ勝ち取る作戦だ。「解釈ひとつで憲法は変わる」そんな運動を徹底しておこなった。

 元号法制化運動を本格化させるため、日青協は1970年代後半から「草の根民族運動」を始めた。署名を集め地方組織をつくることで地方議会の決議を積み上げ、地方議会決議運動を展開することで中央政府を動かす。こうした活動により、1979年に元号は法制化された。このような地方決議による中央制圧の手法は、今では日本会議の定石となっている。

 また、1974年に結成された「日本を守る会」は、元号運動の中核を担った。この団体を通して、椛島ら民族派集団は神社・仏教・新宗教・文化人らの知遇を得ていった。こうして、著名な宗教家や思想家、作家が一堂に会する保守の運動体が誕生した。日本を守る会はその後、椛島の日青協を頼りに活動していく。

【必読ポイント!】
◆右派の思想と行動
◇日本会議の誕生

 元号法制化運動の組織を引き継ぎ、1981年に「日本を守る国民会議」が結成された。その運動方針は、(A)日本は日本人の手で守る、(B)教育を日本の伝統の上に打ち立てる、(C)憲法問題を大胆に検討するの三本柱であった。現在の「日本会議」は、「日本を守る国民会議」が「日本を守る会」を統合する形で結成されたものである。

 日本会議のめざすものは、(1)美しい伝統の国柄の継承、(2)新憲法の制定、(3)国の名誉と国民の生命を守る政治、(4)日本の感性を育む教育、(5)国の安全と世界への平和貢献、(6)世界との友好の6つだ。宗教学者の島薗進によると、ここでいう「美しい伝統の国柄」とは、国体論的な国家を指す。そして強い国家にするためには天皇の権威が必要という神権的国体論を推進しているのが、日本会議と神社本庁というわけだ。

 1966年に制定された建国記念の日は、戦前の紀元節である2月11日にその起源がある。紀元節は神武天皇が即位した日とされ、戦前は軍や役所、学校などで盛大に祝われ、軍国主義の一翼を担った歴史がある。この建国記念の日制定運動の中核が神社本庁であり、戦後弱体化していた勢力を再結集させて成功させた最初の事例となった。

 その後、神社界は神道政治連盟(神政連)を結成し、神政連国会議員懇談会を設立。今では300人を超す勢力となっている。