「お前は五体満足だ。髪の毛がないだけだろ」
病気のことで心底悩み、他人の目を気にしてふさぎ込むことも多かった僕にしてみれば、「……そうは言ってもツラいよ」という感覚でした。
どう考えても開き直れるような心境ではなく、父の言葉は理解しがたいものだったのです。
当時、父とはあまり会話がありませんでした。父は焼肉屋で深夜まで働いており、姉、僕、妹とゆっくり話す時間がなかったのです。父の不器用な性格も影響して、僕の病気のことで何かを言ってくることはありませんでした。それだけに、父のひと言には重みがありました。
その後も父は、たびたび同じフレーズを僕に言ってきました。
「世界には難民がいて、こんなにつらい人たちがいるんだ」などと、いろいろな境遇の人たちを学校の授業で少しずつ知っていくうちに、僕はいつしか、子どもの成長する理解力と比例して、父の言葉を自分なりに理解できるようになっていきました。
生まれながらに手足が不自由な人、不慮の事故で手足を失ってしまった人、それでも現実を受け入れて前向きに生きている人は世界中にいます。にもかかわらず、髪の毛がない程度でふさぎ込むなんて、自分しか見えていないからだと思えたんです。
もしも父が僕に言葉をかけてくれていなかったら、「オレは悲劇のヒーローなんだ」と勘違いしていたかもしれません。
人って、今置かれている環境しか見ていないんですよね。父の言葉は、ずっと先にあるものだったんです。あの頃は、全然わかりませんでしたけど……。
「病気のおかげで人としてひと回り大きくなれた」
そうだとしたら、病気だったことに感謝したくなります。
あの父の言葉、僕を勇気づけたかっただろうし、愛情を感じます。
当時はそれが愛情だと思わなかったけど、実は愛情だったことに気づけた。不器用な父だけど、「すごいな」と心から思います。