2010年の2児置き去り死事件では、ネグレクトの末に子どもたちを死なせたシングルマザーの母親に非難が集中したが、母親自身もまたネグレクトの中で育っていた。2013年の母子変死事件の母親は、生活保護の相談のため役所を訪れていたのだが、救われることなく、我が子とともに遺体で発見された。いずれの事例にも、孤立した母親による「孤育て」という問題があった。

 また、「子どもの貧困」という用語が一般的になっているけれども、子どもだけが貧困状態にあるわけではない。親が貧しく孤立しているから、子どもが貧困になるのである。親の貧困と孤立の背景には、雇用や制度の問題がある。その国の「あたりまえの生活」=「権利」(rights)がままならない親と子に対して、「見守る」「地域で支える」といった支援は抽象的すぎることを、徳丸さんは指摘した。

明かされる貧困の実態に
会場から溜息が漏れる

徳丸ゆき子さん(NPO法人 CPAO)の講演は、数表やグラフも多用され、知・情・意のすべてに訴えかける内容だった

 CPAOは、欠食状態の子どもに食事を提供するという、極めて具体的な活動を行っている。そのためには、施設、設備、食材に加え、スタッフが責任を持った活動を継続させるための人件費がどうしても必要だ。しかし、公的助成金の用途は、ほぼ「ハコ」「モノ」に限られており、人件費に使えるものは少ない。徳丸さんが、貧困状況にある子どもたちや親たちの深刻な状況、多くの場合に貧困が暴力を伴っている実情、支援者たちにも余裕があるわけではない現状を紹介するたびに、会場から声にならない溜息が漏れた。

 もちろん徳丸さんは、「残酷物語」を列挙しただけではない。「何が必要なのか、どういう支援があったら元気になれるのか、当事者が知っている」というCPAOの活動の基本を述べ、どのように当事者に教えてもらい、何をどう実行し、結果がどうなるのかも具体的に述べた。しかし、会場からはまた、声にならない溜息が漏れた。簡単にできそうなことが、何一つ見当たらなかったからであろう。

 徳丸さんは、「なぜ、日本は子育ての責任を、親だけに負わせるんでしょうか? 昔の日本には、地域での『子育ち』がありました。でも(現在の)国が望むように、『地域の絆で、民間だけで、家族だけでやれ』というのは無理です」と悲鳴のように語り、公的資金投入という必要条件の上に「人が人を支える」という十分条件が満たされる必要性を述べて、話を結んだ。