小沢報道の不毛な盛り上がり

 9月26日、小沢一郎民主党元代表の政治資金を巡って、収支報告書に虚偽の記載をした罪に問われた石川知裕衆議院議員ら元秘書3人に、東京地方裁判所は執行猶予のついた有罪判決を言い渡した。

 この問題については、来月6日に初公判を迎える小沢元代表の裁判に影響を与えるのではないか、また、元秘書の有罪判決が出たことで、小沢氏が自ら監督責任を明らかにするべきではないか、あるいは、民主党は何らかの処分をすべきではないか、といった報道が多くのメディアでなされている。

 ある週刊誌の記者は、もう代表でも大臣でもない小沢一郎氏の記事が雑誌にあることについて、「なんだかんだいって、小沢一郎(氏の記事)は、まだ売れる。読者であるオヤジ世代は、好きも・アンチも含めて小沢一郎が気になるのです」と言っていた。メディアが商売であるとしても、小沢一郎氏は、現在、大きく取り上げる価値のある政治家なのだろうか。

 メディアの政治報道(主に新聞やテレビの「政治部」の報道をイメージされたい)は、もっぱら「政局報道」であり、政治家個人の政治的・個人的な動静と評判について、政治家本人に密着しているとする立場から伝えるもので、基本的な構造は芸能ニュースと大差ない。「政策」については、政治家の名前と共に触れられることもあるが、多くは官僚のレクチャーを元に、官庁発表の方針や検討結果などが伝えられるにすぎない。

 現在の商業的政治報道にあって、小沢一郎氏が、まだまだ商品価値がある、ということなら、商売を邪魔するようで申し訳ないが、国民も、メディアも、何よりも民主党が、小沢一郎氏に注目することを、そろそろ止めたらいいのではないか。

 親小沢・反小沢双方の意見をお持ちの方々からお叱りを受けそうだが、筆者は、国民が政治家としての小沢一郎氏を過去の人として「ほどほどに忘れる」ことが好ましいのではないかと思っている。比喩的に言うと、「小沢一郎(氏)、卒業」のすすめ、だ。

 但し、筆者は、小沢氏の裁判が重要でないと言いたいわけではないし、小沢氏は現在も衆議院議員であるので、同氏が政策提言なり国会の質問なりで、議員らしい仕事をすることは「いいこと」だと思っている。