「意味不明な表現」の代表例とは?

これは新聞記者から実際に聞いた話ですが、彼は「新聞の堅い文章は、新聞に掲載されているから成り立っている」と語っていました。一般のビジネス文書やメールにはなじまない。浮いてしまう、わかりにくくなってしまう、という意味です。

つまり、「うまい文章」をお手本にすると、時間がかかるだけでなく、読み手に伝わらない文章を書くおそれがあるのです。

「うまい文章」というとき、多くの人がイメージするのは、いわゆる「気の利いた美しい表現」がちりばめられた文章ではないでしょうか。代表的なのは、どの新聞でも1面の中程から下にある「コラム」でしょう。大学入試問題などに採用され、うまい文章の「お手本」のように扱われることも多い。

しかし、私はむしろ一番やってはいけないのが、あのコラムのマネをすることだと思います。
特に問題があると感じるのは、いわゆる「慣用句」が連発されることです。

「途方に暮れる」「重い腰を上げる」「未知数である」
「肝に銘じる」「心の闇」「ひざを打つ」「太鼓判を押す」
……。

こうした慣用句は、新聞の中で読んでいる分には、それほど気になりません。でも、一般の文章の中に突然入っていると、なんとも違和感がある。

それには、理由があります。慣用句は、「なんとなくわかるようで、実はよくわからない」言葉であることが多いからです。

書き手自身が「実はよくわかっていない」言葉は、読者が読んでも、同じようによくわかりませんし、うまく伝わりません。

でも、慣用句的な表現があると、文章が「それっぽく」見えます。
中身がなくても、なんとなく「うまい文章」に見える。
だからこそ、注意が必要なのです。

「起承転結」も「正しい文法」も
気にしなくていい

文章の呪縛のもうひとつの側面に、いわゆる「文章のセオリー」というものがあると思います。たとえば、こういうことです。

「起承転結を意識しなければいけない」
「正しい文法で書かなければいけない」
「“ 、” や “ 。”は適切に配置されているか」

私は20年以上にわたって「書く仕事」で食べていますが、「起承転結」を意識したことは一度もありません。決して誇れることではありませんが、「、」や「。」を打つ位置について勉強したこともなければ、いわゆる「文章の書き方」のような本を読んだこともありません。なぜなら、そういう息苦しいルールが原因で、文章に苦手意識が生まれてしまったからです。

たしかに、国語の先生がテストで点数をつけるためには、そうしたことが「基準」として必要なのかもしれません。

しかし、「起承転結」が、ビジネス上の文章で本当に機能するのか。
セオリーに沿っているけど中身のない文章が、果たして世の中に支持されるのか。

たとえば起承転結は、物語を構成するときに効果を発揮する手法だとされます。「結論から言え」と言われがちなビジネスの世界と、相性がいいとは言えない可能性がある。
そういうことを考えず、「文章の形」を整えることに時間を費やすのは、本末転倒です。

とりわけ、ビジネスで用いる文章は、意思や決定事項の伝達手段が第一義であり、あくまでコミュニュケーションツールの1つです。道具の使い方ばかりにこだわるのはおかしい。

文章が苦手だと感じている人ほど、うまい文章やセオリーなどといった「文章の呪縛」から逃れられるだけで、速く書けるようになると私は思います。

もちろん、意味が通らない文章や、みっともない文章を書きたくない、という気持ちはよくわかります。その対処法は、『超スピード文章術』で独自のノウハウを紹介していますので、ぜひご覧になっていただき、使い倒してください。