「自立のボトルネックは、『足』がないことじゃないか」
「1歳半の子どもをおんぶしながら軽トラックを運転している。周辺に店があいていないので、買物にでるためにも長距離の運転が必要」(宮城県本吉郡南三陸町)
「2キロメートル先に銭湯があるが、歩くことが困難な高齢者は長く風呂に入れていない。共同バスは16名以上集まることが条件。行政による送迎サービスもいつ止まるかわからない」(宮城県亘理郡亘理町)
「特定の時刻になると道路が水没するため、行動できる時間が限られている。子どもたちは、通学するのに沈んでいない道路のまんなかを通ってるんだ。できればスクールバスがほしい」(宮城県石巻市女川/渡波地区)
鹿島はこのような声を拾い集めると、他のボランティア団体がガレキの撤去や炊き出しに目を向ける中、あえて「移送サービス」に目をつけた。理由は「面」として、中長期間、被災地を広く支援することができるやり方だからだ。どこかの地域に入り込むだけだと、その地域の中で活動が完結してしまい、被災地全体への影響までは考えることができない。
さらに、地域の事業者と競合する事業を展開するのも望ましくない。地域経済に負の影響が出てしまうことも多い。現地の事業者や住民の自立を妨げないやり方、それが求められていたのだ。その結果がこのコミュニティバスのプロジェクトだった。
彼女が考える「コミュニティバス」はこうだ。決まった交通ルートを持つんじゃなくて、タクシーとバスの良いところを併せ持つこと。ITを活用することで、効率をあげること。さらに、介護や配食、見守りといった機能を交通機能に足していくこと。そうすれば、点在する仮設住宅を回っても安価で安心できるサービスが提供できるはずだ。彼女は、それを現地のバス会社やタクシー会社とタッグを組んで、実現しようとしていた。鹿島は明るく笑いながら、力強く言う。
「バラバラに住まないといけない状況でも、『足』があれば、なんとかるじゃない?」
誰もが目に見えやすい課題に目を向ける緊急支援フェーズにあって、鹿島は自らもボランティアとして奔走しながら、次のフェーズで必要になるサービスに目を向けていたのだ。
実は、この鹿島の目線こそが、復興を目指す我々に大きなヒントをくれる。その意味を理解するためにも、「せんだい・みやぎNPOセンター」を立ち上げたNPO界の先駆者の一人、加藤哲夫氏の言葉を紹介したい。