日米の免許を持つ脳神経外科医が、現場を離れIT起業した理由豊田剛一郎・メドレー代表取締役医師 Photo by Masato Kato

 代表取締役医師──。受け取った名刺には、聞き慣れない肩書が記されていた。名刺の差し出し主は、「医療」と「テクノロジー」を掛け合わせたヘルステック会社メドレーを率いる豊田剛一郎だ。

 豊田は実際に医療活動に従事しているわけではない。旧態依然とした日本の医療を病院の外から変えたいと、医師から起業家へと転じて、新規ビジネスを立ち上げてきた。

 彼の経歴は、エリート街道の究極モデルといえる。

 全国屈指の進学校である開成高校から日本医学界の最高峰、東京大学医学部を卒業。都内の病院で脳神経外科医として勤務後、米国に留学し、日米双方の医師免許を持っている。

 将来は安泰。そんなエリート医師の立場を捨てた背景には、マクロとミクロの二つの危機意識があった。

 前者は医療システムに対する危機感。「現在、日本の年間の医療費は40兆円に達し、今後も膨らむ一方で、システムとして立ち行かなくなる」。

 後者は医師の働き方の問題。年間350日近く病院で働いた経験のある豊田には、「医療現場はとにかく非効率で、医師が疲弊してしまう」との危機感もあった。

 多忙を極める医療の現場に身を置きながら、こうした“病巣”を治療することはできない。そう判断した豊田は、米国から帰国後、経営コンサルティング会社マッキンゼーへ移り、ヘルスケア業界の戦略コンサルタントに転じた。