毎朝繰り広げられる二人の真剣勝負
40年以上行列が途絶えたことがない吉祥寺「小ざさ」は、まずは「圧倒的な商品」の開発に命をかけた。
現在の代表、稲垣篤子氏の実父である伊神照男氏は、戦前展開していた菓子屋で多くの商品を展開していたのにもかかわらず、戦後吉祥寺で開いた店では、最終的には商品数を、こだわりにこだわり抜いた二品に絞った。
それが、後に「幻の羊羹」と呼ばれるようになる「羊羹」と、売上の大部分を占める「最中」である。
伊神氏は、娘の稲垣篤子氏に経営の実権を譲ったあとも、毎朝、自分が生み出した「コンテンツ」を試食することを欠かさなかった。糖尿病を患っているにもかかわらずだ。
その様子は、稲垣篤子氏の『1坪の奇跡』に詳しい。毎朝繰り広げられる二人の真剣勝負を見ると、商品(サービス)を創るとき、どういう「スタンス」でいなければならないのかを思い知らされる。
「コンテンツ」の質を高めるには、莫大な資金と費用を費やす必要があると先に説いたが、それだけは、おそらく、足りないのだろう。顧客に最高の商品を出し続けるのだという「覚悟」が必要となる。
おそらく、その想いやこだわりがあるからこそ、それが顧客に伝わり、結果論的に「行列」が伸びるのだろう。
昭和の時代の
コンテンツへの「覚悟」が問われる
さらに、これからの時代は、昭和の時代のこのコンテンツ作りに対する「覚悟」が、マーケティングにおいて不可欠になってくるのかもしれない。
なぜなら、昨年ヒットした映画の三作品は、顧客によって広く拡散されたからだ。もし、顧客の拡散力がなければ、『シン・ゴジラ』も『君の名は。』もあれほどのヒットは記録しなかっただろう。逆に、広告代理店主導の「広告」「営業」「PR」戦略だけでは、決してあの実績には到達できなかっただろう。
時代は、「広告」から「拡散」へ、そして拡散者は「広告代理店」から「個人」へと確実に推移しているのではないか。
そこで問われることこそ、他社の「模倣」や「分析」、「コピー」では決して現れることのない、商品や顧客に対する「覚悟」や「想い」なのではないか。
つまり、これからの時代は、吉祥寺「小ざさ」のような日本型マーケティングが、日本ばかりではなく、世界で主流となると考えている。
我々、起業家は、そしてマーケターは、商品(サービス)を徹底して重視していく覚悟を、いま一度、胸に抱かなければならないだろう。
そうしなければ、これからの「コンテンツ主義」の市場を勝ち残ることはできないのだ。
逆を言えば、覚悟を決めて、真面目に「コンテンツ」を作り続ける職人気質のクリエーターたちが、より優位になる時代になるだろう。
それは、決して、悪いことではない。