コメを守ると言いながら減反政策を続けて食料安保の根幹となる田地をなぜ減らし続けるのか、まったく合点がいかない。食料安保的にコメを位置づけるのであれば、何よりもまず田地を守るべきではないのか。

 また、わが国のコメの消費量は年間1人当たり約60kgである。月に直せば、約5kgであるが、これはスーパーで売っている値段に換算すれば毎月2~3千円の出費にすぎない。仮に外国産の安いコメ(3分の1から4分の1の価格)が入ってきたとしても、どれだけ節約できるというのだろうか。この程度の金額(出費)であれば、市民の口に馴染んだわが国のコメが安い外国産のコメに価格差だけですぐにとって代わられるとは思わない。

「コメを守れ」「食料の安全保障が大切だ」という意見も、よくよく吟味すれば、正体のない幽霊のようなものではないか。ちなみに食料の安全性という観点で述べれば、日本の1ヘクタール当たりの農薬使用量はアメリカの約8倍であると言われている(山下一仁氏による)。

農業をどうやって守るのか。
見習うべきはアメリカではない

 これまでどちらかと言えば、極論に近い形で話を進めてきたが、三重県の片田舎で生まれた筆者にとって「農地を守り」「農業を守る」気概は人後に落ちないものがあると自負している。

 農業の競争力強化については、「大規模化」(規制緩和による農地の集約化)や(それとほぼ同じ意味を持つ)「株式会社化」が喧伝されることが多いが、それだけでわが国の農業が強くなるだろうか。たとえばアメリカのそれに匹敵する大規模なコメ農場が、わが国の地形上、果して実現可能だろうか。わが国の農業は大規模化を目指すだけでは、とうていアメリカやブラジル、カナダ、オーストラリアといった大国には勝てないと考える。