「良い失敗」はしたほうがいい

 こうした試みは、確かな結果をもたらした。毎年、着実に観客動員数は増えた。2005年には150万人以下だった動員数は、2006年には160万人に。その後も183万人、187万人、199万人と増え続けた。帯広など地方の球場で試合をすると、ぎっしりと人が入った。ファンクラブの入会者数も、札幌だけでなく北海道中で増えてきていた。

 ファイターズ人気が一時的なものではなくなってきたことは確実だった。
ところが2010年、観客動員数は僅かに減少を見せた。原因ははっきりしている。集客に向けた仕掛けのいくつかが不発に終わったからだ。2005~2006年ごろは私がアイデアを出すことが多かったのだが、そのころになるともっぱら社員たちのアイデアに任せるようになっていた。

 私が彼らに伝えた決まりごとは二つだけ。

  ①コンプライアンス(法令遵守)に触れない限り、何をやってもいい
  ②失敗してもいい

 この至って自由な――自由過ぎるルールを決めたのは、発想力を余すところなく出しきってほしかったからだ。しかし自由であるということは反面、先の見通しの難しさをも意味する。若い彼らの立てるプランの中には、明らかに「これでは採算が取れない」と分かるものもある。正直言って、2010年は特にそれが多かった。しかし私はあえて、「そんなにやりたいなら、やってええよ」と言った。

 失敗することによって勘どころがつかめるなら、安い授業料ではないか。彼らの判断力がそれを機に磨かれるのなら、元はすぐ取れる。失敗によって損失が出たとしても、

「ええやん、数百万くらい」

 ――と、ソロバンをはじいて考えたのである。良い失敗は、「すべきこと」「してはいけないこと」の判断の精度を上げてくれるものだと私は考えている。「良い失敗」の経験は教訓として刻まれ、その後の判断の指針にもなるはずである。

 しかしこのような「良い失敗」に対し、「悪い失敗」というものもある。それは、悔いを残した状態で失敗することである。「あの時もう一回ミーティングをしておいたら…」「あの一点を確認さえしていたら…」という悔いの残る失敗は良くない。

 ちなみに、2010年もわが社は最終的に黒字決算となった。私にとってはそれほど意外なことではなかった。管理本部は折に触れて「今年の予算達成は厳しい」と告げてきたが、私はそのつど「絶対大丈夫や」と答えてきた。なぜなら、社員たちが「達成出来る動き」をしていたからだ。というより、「絶対達成しなくてはならないと思っている動き」をしていたから、と言うべきか。

 その気迫を見れば、見通しは明るいと感じていた。社員それぞれが自分の仕事のしかた、ペースをつかんでいた。それは昔の彼らには見られなかったことだ。数字と、自らの技量とスケジュールを見て即時判断する――自分なりの成功法則を彼らが身につけるようになったのは、頼もしい限りである。