ただ、なぜコットンだと体温が下がるのか。どんな下着だったらよいかが分析されるようになったのはもっと後になります。

 1935年にデュポン社(米国)がナイロンを開発しました。1950年に人類がヒマラヤ山脈にある8000m級のアンナプルナを初登頂した際、フランス隊がこのナイロンの衣類を着ていたことが話題になりました。

 そして、1960年にはいっての遭難事故あたりから、コットンの下着を着ている人が遭難死していることが注目されはじめ、1972年55人の登山者中24人が死亡・行方不明となった富士山大量遭難死事件の初期報道で、大半の人がコットンの下着だったので遭難したと報道されました。

 もっとも、この遭難は、気象が主原因の遭難と分析されており、下着がウールの人でも亡くなっていました。そのため、現在では初期報道は正しくなかったと考えられていますが、誤報とはいえ、下着に警鐘を鳴らすことにはなり、ベテラン登山者たちは下着に気をつかうようになったと言われています。

<参考文献>
『新補版 山岳遭難の教訓』(岳書房/出海栄三著/1990年から引用)
「しかし、当時、新聞で誤報されたように「大半」のあるいは「ほとんど」の登山者が木綿の下着だったから、疲労凍死したと断定できる事実はない。」

富士山大量遭難死事件(1972(昭和47)年3月20日)
 日本山岳史上、一般の登山者による最大の大量遭難が、それも日本のシンボル富士山で起きた。
 その日山陰沖で、午前3時頃から台風並みに急速に発達した低気圧が、 日本海を北東方向に進み、この低気圧に向かって強い南風が吹き込むという典型的な“春一番”が全国的に吹き荒れた。特に富士山では19日夜半から横殴りの冷たい雨が降り、翌日 も前夜からの雨が降り止まず、午後になると風速31~35m/秒の猛烈な風雨となり、瞬間風速50m/秒という突風が吹いたという。
 そのため雨に対する装備がほとんど無かった遭難者の濡れた身体の体感温度は、マイナス30~40度になったと推定され、体力を急速に奪われた。
 遭難した静岡頂山山岳会の9人は、ビバーク(野宿)していたが 防水の装備がなかったためびしょ濡れになり、朝方下山したが、激しい雨に打たれ7人が睡眠不足と疲労で凍死した。
 清水勤労者山岳会の11人は、風雨の合間を見て単独登山者とともに下山したが、午後になり強い風雨のため7人が衰弱して死亡、5人が雪崩に襲われてばらばらになり1人がようやく御殿場署にたどり着いた。そのほか6人が行方不明となったが雪崩による死亡と断定されている。当時55人が登山中でそのうち半数近い24人が死亡・行方不明となった。
(防災情報新聞無料版より引用)
http://www.bosaijoho.jp/reading/item_6192.html