大川小の控訴審が結審、遺族が和解に応じず「伝えたかったこと」大川小控訴審における原告団の会見。4年近く続いた裁判の法廷審理が終わり、普段はメディアに出ない遺族もめずらしく壇上に並んだ Photo by Yoriko Kato

大川小の控訴審が結審
「命」の争点はどうなったか?

 東日本大震災で、学校管理下の児童74人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校の23人の児童の遺族19家族が、市と県を相手に総額23億円の損害賠償を求めた。その控訴審が23日、仙台高裁(小川浩裁判長)で開かれ、結審した。
 
 2016年10月26日に行われた1審の仙台地裁の判決では、「市の広報車が高台への避難を呼びかけていることや、ラジオで津波予想を聞いた段階では、教員らは津波が学校に襲来することを予見し、認識した」などと、学校側の過失を一部認め、約14億2600万円あまりの損害賠償を命じた。これに対し、被告の市と県、原告の遺族側の双方が控訴していた。

 市と県は、教職員らが津波を具体的に予見することは困難だったとして控訴。結果論ではなく、その当時の教職員らが事前に持ち得た知見や情報を前提とすれば、当時において最善を尽くしたと評価されるべきであり、安全配慮義務違反を受けるいわれはないとして、判決の棄却を求めた。

 原告側も、一審判決では、学校や校長、市教育委員会といった学校関係者が、義務教育下の学校防災として平時の備えにどのように対応していたかどうかの組織的過失に触れていない、などとして控訴した。

 今回の控訴審では、仙台高裁が「事前防災」を中心に両者に証拠提出を求め、学校関係者が子どもたちの命を守るための事前の備えを十分に行っていたかが争点になった。

 原告側が結審にあたり提出した最終準備書面は、229ページにも上る。

 原告側は、学校関係者がどのような事前の備えを行ってきたかのみならず、大川小学区内で、市防災計画とハザードマップに矛盾が存在していたことなども指摘。市側の防災体制の問題点についても広げて言及している。